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ローマ
そもそもローマとは・・・
帝国の分裂
国・民族プロフィール
インド=ヨーロッパ語族
セム語族
ハム語族
アルタイ語族
シナ=チベット語族
マレー=ポリネシア(オーストロネシア)語族
南アジア(オーストロアジア)語族
ドラヴィダ語族
イタリア人
ラテン人
エトルリア人
ゲルマン人
ケルト人
フン人
西ローマ帝国
東ローマ帝国
ローマ教会
コンスタンティノープル教会
イングランド
フランク王国
東フランク王国
西フランク王国
イタリア(中部フランク王国)
ルター派
カルバン主義




:::ローマ:::

そもそもローマとは・・・

 古代ローマとは、古代にイタリア半島中部に位置した他部族からなる都市国家が領土を拡大し、地中海全域を支配して出来た帝国である。ローマ市は帝国の滅亡後も一都市として存続している。 国家の存続期間が1200年と世界史上でも群を抜いて長い。
 時代区分は大きく3つに別れており、

◆王政期(王政ローマ)
 (紀元前753年〜紀元前509または510年)
・伝説の7人の王が収めていた期間
 言い伝えによれば、軍神マルスとその2人の息子によって建国されたという、エトルリアの辺境、ティベレ河畔の7つの丘の上に建設された都市国家であった。初期の4人の王はローマ建設時の中心となったラテン人、ザビニ人から選ばれているがその後の3人の王は他民族であるエトルリア人であるとされる。だが、この異民族の王は貴族とのもめあいなどによってやがて追放され、貴族による共和制へとうつる。
◆共和制期(共和制ローマ)
 (紀元前510年〜紀元前27年)
重装歩兵の活躍などで半島を統一し地中海全域に属州を持つ帝国となった期間
 国々を制圧していく中、イタリア南部のギリシア都市からギリシア文明を学び取っていった。
 政治ではコンスル(執政官)を指導者とする、民主的な政治体制をととのえたローマは、後に「内乱の一世紀」という動乱の時期を迎え、次第に元老院支配体制から有力な個人統治へと性質を変化させる。
初期にイタリア半島の中部・南部を統一し勢力に加え、紀元前264年にポエニ戦争を起こし、北アフリカ地方の貿易大国カルタゴと約一世紀に渡る戦いの末紀元前146年に勝利を収め、紀元前241年にはシチリア島を獲得、最終的にはカルタゴを滅ぼすという成績を残した。そしてローマは地中海における最強国となる。
 グラックス兄弟の改革で政治的混乱発生。末期にはガイウス・マリウスの軍制改革、ルキウス・コルネリウス・スッラの独裁、カエサル、ポンペイウスなど有力者達が権力を握った三頭政治、その後戦場にてポンペイウスを撃破し全ての実権を握ったユリウス・カエサルの時代がくる。また、第二次三頭政治を経てクレオパトラ7世を打ち破り、紀元前27年にはカエサルの養子、オクタウィアヌスは元老院により、「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を受け、最初の皇帝となり、帝政期へとうつる。
◆帝政期
 (紀元前27年〜)
・皇帝
 遠くインドや中国とも貿易を行う。賢明なアウグストゥスはローマ人達が王政を好まない事を汲んで、自らを”ローマ第一の市民”と称し、これは”新共和制”であると主張したが、これはあくまで表面的なものである。

となっている。


東西分裂 (年表)

 また、4世紀末にコンスタンティヌス1世は首都をローマからコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)へ遷したのだが、同世紀中その後のローマ皇帝であったテオドシウス1世が帝国の守備範囲を狭め、それぞれを息子達に統治させようと、死に際して395年、帝国を東西に分けた。この事によって西ローマ帝国と東ローマ帝国(またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国)が現れた。
 尚、ローマはこれより以前にも何回かに渡って分割されており、テオドシウウス1世はローマ帝国の東西ともを支配した最後の統治者である。ただし、これはたった1年間の事であった。




:::国・民族プロフィール:::


インド=ヨーロッパ語族 -Indo-European

 ヒンディー語/ペルシア語などのインド/イラン系の東方系言語
 英語/ドイツ語などのゲルマン語
 ラテン語/フランス語などのロマンス語
 ケルト語/ギリシア語/ロシア語などのスラヴ語
 バルト語

の西方系言語を使う人間集団、または言語の一群


セム語族 -Semites

 アッカド語/バビリア語/ヘブライ語/フェキニア語/アッシリア語/アラビア語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


ハム語族 -Hamites

 エジプト語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


ウラル語族 -Uralian

 フィンランド語/ハンガリー語/エストニア語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


アルタイ語族 -Altaic

 トルコ語/モンゴル語/ツングース語/(他に、朝鮮語/日本語が属するという説もある)

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


シナ=チベット語族 -Sino-Tibetan

 中国語/チベット語/ビルマ(ミャンマー)語/タイ語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


マレー=ポリネシア(オーストロネシア)語族 -Malay-Polinesians

 マレー語/インドネシア語/タガログ語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


南アジア(オーストロアジア)語族 -Austroasien

 ベトナム語/クメール語/モン語/(他に、日本語が属するという説もある)

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


ドラヴィダ語族 -Dravidian

 タミル語

などの言語を使う人間集団、または言語の一群


イタリア人 -Italici

 インド=ヨーロッパ系
 ギリシア人が南下するのと殆ど同じ時期にイタリア半島へ2派にわかれ南下する。第1派ウンブリア系は紀元前16世紀頃、半島南部・山岳地帯へ、第2派ラテン系は紀元前11世紀頃、半島中西部・丘陵地帯へ定着。


ラテン人 -Latins

 2派に分かれたイタリア人の第2派。ラティウム地方に定住したのがその名の起源といわれる。
 ローマを建設。広い範囲でその言語であるラテン語が使われる様になり、そこからロマンス語(フランス語/スペイン語/イタリア語etc.)と呼ばれる諸言語が生まれる。


エトルリア人 -Etrusci

 系統不明の民族。トスカナ地方を中心に定住した。
 紀元前7世紀から紀元前6世紀頃が最盛期といわれる。その一部は一時期ローマを征服するが、やがて衰え紀元前3世紀にはローマに征服される。建築でアーチや水道橋、他にも衣服、管制、習慣などの大きな影響をローマに与えた。


ゲルマン人 -Germans

 - 人物:オドアケル(Odoacer)/東ゴート・テオドリック大王(Theodric)/西ゴート・アラリック大王(Alaric)
 - 参考:ゲルマン民族大移動
 -言語:1世紀頃、ギリシャ/ラテン/北イタリア文字等を参考にルーン(ルーネ)文字がつくられた。

 - 北方ゲルマン:デーン人/ノルマン人→ノール人、スヴェーア人/ノース人
 - 東方ゲルマン:ブングルド人(ブルゴーニュ)/ゴート人/ヴァンダル人
 - 西方ゲルマン:アングロ・サクソン人→アングル人、サクソン人(ザクセン)/フランク人/アラマニ人(アレマンまたはアルマーニュともいう)
 - 不明ゲルマン?:マルコマンニ人/フリース人/ロンバルド人(ランゴバルド)/ユート人(ジュート)

 インド=ヨーロッパ系民族のひとつ。
 上記で分類した様に、基本的にエスニック集団であって、ゲルマン人という呼び名はローマ人によるゲルマニア居住諸部族に対する他称がもとといわれる。後にドイツナショナリズムの指導者達が用いた「アーリア人」という表現は、本来はイラン高原とインド亜大陸に侵入したインド=ヨーロッパ系語族集団の「高貴な者」を意味する呼称からきている。
 ヴァイキングについては参考リンク先を参照。
 紀元前1000年頃スカンジナビア半島南部、ユトランド半島及び北ドイツに居住。ケルト人を圧迫しながらライン/ドナウ両河の近くの北側一帯に広がる。
 紀元前1世紀以降ローマとの接触を深めていき、政治的にも足を踏み入れていく。当初は奴隷として、帝政ローマ中期からは傭兵やコロヌスとして流入。


ケルト人 -Celts

 -宗教:自然崇拝の多神教。ドルイドと呼ばれる神官が司る。
 -言語:口承以外の記録にはギリシア文字を借用。後に独自のオーガム文字が生まれるがキリスト教化するにあたってラテン文字に代わる。
 - 参考:ゲルマン民族大移動
 インド=ヨーロッパ系民族の先住民。
 古代ローマ人からはガリア人と呼ばれていたが、それはケルト人の一部を指す語との説もある。
 中・西欧一帯に居住していたが大部分がローマ人、ゲルマン人に征服され同化される。
 現在もイギリス/フランス/スペインの一部にその文化を受け継ぐ人々は存在しているそうだ。


フン人 -Huns

 - 人物:アッティラ(Attila)-フン人の大王
 - 参考:ゲルマン民族大移動
 アジア系騎馬遊牧民族。様々な民族から成っていたという説が有力であるが、実際のところは色々とよくわかっていない。
 4〜5世紀にヨーロッパに侵入する。ゲルマン人の一派である東ゴート人を征服し、ゲルマン民族大移動のきっかけとなる。ドナウ川中流域に大帝国を建てるが、内紛と流行病によって5世紀末に崩壊。


西ローマ帝国 (395年 - 476年)

 - 首都:皇帝の所在地としての首都はローマ、ミラノ、ラヴェンナへと遷っていった。
 - 最初の統治:テオドシウスの次子、ホノリウス
 - 参考:西ローマ帝国の滅亡

 皇帝権の弱さからゲルマンに攻められ476年、ゲルマン出身でローマ帝国の傭兵のオドアケルによって滅ぼされたとされているが、実際にはユリウス・ナポス帝が西ローマ帝国の残骸を支配し、引き続き西ローマ帝国の統治権を宣言していた。


東ローマ帝国(またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国) (395年 - 1453年)

 - 首都:コンスタンティノポリス
 - 最初の統治:テオドシウスの長子、アルカディウス
 - 参考:ビザンツ帝国の最期

 首都コンスタンティノープルは旧名ビザンティウム。330年コンスタンティヌスによってコンスタンポリスと改称されたもの。現在のイスタンブルの辺りである。


イングランド -England

 - 参考:西ヨーロッパへの外敵

 イングランドは現在では一般的に、グレートブリテン及び北アイルランド連邦国を構成する1つの地域を指し、中世史では大ブリテン島の南半を指す。
 その名称は「アングル人の地」を意味する"Engla-lond"に由来。
 ストーンヘンジなどを建設した民族については未明。
 恐らく紀元前5世紀頃にケルト人が流入。
 紀元前55年にはローマのユリウス・カエサルが侵入。43年はローマ皇帝クラウディウスによってグレートブリテン島の大部分が占領。
 しかし、スコットランド/アイルランド地域のケルト人が度々侵入してきた為、ローマは現在のイングランドとスコットランドの境界付近に長城を建設。ローマが占領しブリタニアと呼んだこの地域が、ブリテン島の起源である。
 ローマ人は在地のケルト人達をブリトン人と呼んだ。
 449年にはゲルマン系のアングロ・サクソン人が侵入しはじめ、ケルト人達は同化、あるいは、コーンウォール/ウェールズ/スコットランド、に追いやられた。但し、この初期の頃の事について正確な事はあまりわかっていない。
 アングロ・サクソン人は、ノーサンブリア/マーシア/イーストアングリア/エセックス/ウェセックス/ケント/サセックス、など7つの王国を建設し、中でも有力だったのはウェセックスで、その王エグバートは、829年にイングランド統一を達成する。


フランク王国 (481年 - 843年)

 - 位置:現在の、フランス/イタリア北部/ドイツ西部/オランダ/ベルギー、を領土とした
 - 王:メロヴィング朝...クロヴィス1世
     カロリング朝...大・中ピピン/カール・マルテル/小ピピン/カール大帝/ルートヴィヒ(ルイ)1世
 - 参考:フランク王国の発展とメロヴィング朝/カール大帝/フランク王国の分裂

 ゲルマン系移民のフランク人、クロヴィス1世がフランク人を統一し、481年にメロヴィング朝を開いたのがはじまりといえるだろう。ゲルマン諸国家の中でも長く続いたもののひとつ。
 フランク人には姓がなかった。
 クロヴィスがカトリック教徒であった妻との約束により、496年に当時ゲルマン人に定着していた異端宗派のアリウス派キリスト教からカトリックのアタシウス派キリスト教に改宗。これが西ローマ帝国貴族の支持を集め、領内のローマ系住民との関係を改善させた。
 カロリング家はもともと、メロヴィング朝に仕える宮宰(宰相)であったが、クローヴィス死後のメロヴィング朝の衰退などで次第にフランク王国の実権を握るようになる。中ピピンの子、カール・マルテルは732年にトゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝イスラム帝国を撃退。そしてその子小ピピンはメロヴィング朝を廃し、遂にフランク王に即位。カロリング朝を開始する。
 カロヴィングとは「カールの」という意味であって、姓ではない。
 カール大帝(シャルルマーニュ)は800年に教皇により、戴冠、西ローマ帝国の皇帝となる。フランスのトランプではハートのキングのモデルといわれる。
 ルートヴィヒ(ルイ)1世は817年、3人の息子等に王国を分割相続させる法律をつくる。
 843年にはルートヴィヒ王の死後、ヴェルダン条約により、遺子三人がフランク王国を3分割(東/西/中フランク王国)して相続する事が決まり、フランク王国は分裂する。詳しくは参照ページ「フランク王国の分裂」へ。


東フランク王国 (843年 - 911年)

 - ドイツ王国とも呼ばれるようになる。後に神聖ローマ帝国
 - 王:カロリング朝...ルートヴィヒ2世/カールマン/カール3世(肥満王)/アルヌルフ/ルートヴィヒ4世
     フランケン朝...コンラート1世
     ザクセン朝...ハインリヒ1世/オットー1世
 - 参考:フランク王国の分裂

 ヴェルダン・メルセン両条約でフランク王国が分裂し、成立した国。当初から貴族勢力(諸侯)が強く、後には更に権力が分散。911年にカロリング家の血統は断絶。


西フランク王国 (843年 - 987年)

 - フランス王国の原型
 - 王:シャルル2世(禿頭王)/ルイ2世/ルイ3世/カルロマン
 - 参考:フランク王国の分裂

 ヴェルダン・メルセン両条約でフランク王国が分裂し、成立した国。当初から王権が弱体で、大小諸侯の自立により地方分権化が進む。987年、カロリング家の血統断絶で滅びる。その後はパリ付近を領した大領主パリ伯、カペー家のユーグ・カペーによって継承され、以後はフランス王国と呼ばれるようになる。


イタリア

 - ヴェルダン条約によってつくられたのは中部フランク王国(またはロタール王国、ロタール領)
 - 王:中部フランク王国...ロタール1世
 - 参考:フランク王国の分裂

 カロリング家が875年に断絶。その後は神聖ローマ帝国の介入、イスラム勢力の進出、教皇領などで混乱。北イタリアではジェノヴァ、ヴェネツィアなどの都市が独立する。