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16世紀のマイクロトーナル・ミュージック

先日Youtubeでコーラスを聴いていて、ギョッとさせられました。これはみなさんにも是非ともギョッとしてもらおうと思い、ここに紹介します。

まずこれを聴いてギョッとして下さい。

ニコラ・ヴィンチェンティーノ(1511~1572?)の「Musica Prisca caput」という曲です。演奏はExaudiです。

後半で「昔のエレベーター」みたいな、地面がふわっとズレたみたいな、何とも気持ち悪い音が何度も出てきたと思います。和音自体は変じゃないんですが、どこがどうなってるの?と思って調べてみてビックリ。

ヴィンチェンティーノは転調しても純正和音を保とうと考えたばかりでなく、マイクロトーン(微分音)の効果そのものの追求を行っていたのです。

ルネサンス時代にはポリフォニーが開拓されまっくた結果、様々な転調パターンが生まれました。こういうことは単純なホモフォニー頭からは出てこないことで、2つ以上のメロディーがその間隔を変化させることによって不協和音を含む様々な和音への転調が発生します。鍵盤楽器のように「調律された楽器」の場合、属調や下属調などへの転調だと問題が少ないんですが、もっと離れた転調では問題が起きます。当時の楽器はほとんどがミーントーン(中全音律)で調律されていたので、白鍵上及び#1つb1つくらいの調なら長3度は純正(386cent)の和音が出ますが、F(ドーファーラ)からDb(レbーファーラb)みたいなファを軸にしたエンハーモニックな転調ではレbーファの3度が不純になってしまうのです。

ヴィンチェンティーノはこういう問題を解決するために黒鍵を追加しました。第2の黒鍵は次のように調律されています。

黒鍵が2分割されて、下の黒鍵は白鍵とともにミーントーンで調律されてますが、上の黒鍵はDb-F、F#-A#、Ab-C、GbBb、B-D#の3度が純正3度(386cent)になるように調整されています。実際にはさらにCb(C#)とE#(Fb)のキーも付いていて、どの調性でも純正3度和音を得られるようにしました。

黒鍵が2分割されて、下の黒鍵は白鍵とともにミーントーンで調律されてますが、上の黒鍵はDb-F、F#-A#、Ab-C、GbBb、B-D#の3度が純正3度(386cent)になるように調整されています。実際にはさらにCb(C#)とE#(Fb)のキーも付いていて、どの調性でも純正3度和音を得られるようにしました。しかしこれはCから遠く離れた調性の和音は調律上のズレが大きくなってしまう問題はやはり発生します。

このコラムの調律法で触れたように、3度を純正でとっていくと最後に41~2centのズレが生じ、これを「ウルフ」と呼んでいます。そこでヴィンチェンティーノは「ウルフ」分ズラしたミーントーン調律の鍵盤を上に重ねました。「ウルフ」分ズレたら上に行け、ってことなんでしょうか?

一番下の①が基本のミーントーン調律のキーボードで、②がそれを補正するための黒鍵です。③は基本のキーボードをまるごと41cent上にスライドさせた調律のキーボードで、④はそれを補正するための黒鍵です。この1オクターブ36鍵のキーボードで、どこまでいっても純正3度だ、文句あっか?という感じだっったんでしょうが、残念ながら普及しませんでした。

このキーボード(オルガン)で実際に弾いている動画をご覧ください。

やっぱり、「何だこりゃー?」と思うのは、ヴィンチェンティーノは調性的に発展した挙げ句のはてに「ウルフ」キーボードを使ってるんじゃなく、CとかFとかのなんでもない和音を鳴らした直後に、同じ和音を「ウルフ」キーボードで弾かせているところです。訳のわからない、突然の41centジャンプが起こってます。譜面を見て下さい。

23小節目の紫色のAbは②の黒鍵を使ってAb長和音を純正に鳴らせています。25小節目のH-durも同様です。こういう所は理解できますが、28~29小節のC-durは同じ音なのに③の鍵盤に移って、結果41centずり上がって気持ち悪いです。そのあとも赤線の囲っている2つの和音は皆同じ和音ですが、どこも41centずらしています。

ヴィンチェンティーノは「ウルフ」を乗り越えるために上のキーボードを作ったのでしょうが、実際にそんなイカレタ状況になることは滅多にないと思いながら、キーボードをいじってるうちに、微分音の変化に面白みを見出してしまったのでしょうか?20世紀にもマイクロトーナル・ミュージックは研究されて、妙な楽器も作られたようですが、殆どウケずに終わりました。

ぜひもう一度、最初にあげたExaudiによる歌唱を聴いてみて下さい。みんなで41centずり上げたりする所は人間業とも思えない、超絶技法だと思います。

我が団はなぜA=442Hzで演奏するのか?

今回はピッチの事をちょっとだけ書きます。

まずA=442Hzで演奏する理由は簡単で、現在の日本のクラシックコンサートでのピッチがほとんどA=442Hzで、ホールのピアノの調律は何も言わなければA=442Hzになっていることに盲目的に従っているからです。何でA=442Hzなのかと言うと、それは1939年に会議を開いて世界標準ピッチをA=440Hzにしよう、と決めたことに始まります。これは現在でも有効な決め事で、アメリカではA=440Hzを採用することが多いようですし、何よりも管楽器を制作するにあたって現在でもA=440Hzを基準にしているのです。電子キーボードやシンセサイザーなどもA=440Hzが基本です。そのこともあってポップスなどの現場ではやっぱりA=440Hzが基本ですが、クラシック業界の影響のせいか、近年は録音スタジオのピアノはA=441Hzになってることが多いです。

クラシックのオーケストラプレイヤーはより張りのある音を求めて、ジリジリとピッチを上げていく傾向があり、現在のウィーン・フィルは443Hz、カラヤンの演奏は、歌手が一緒でないときのベルリン・フィルではなんと446Hzだったそうで、現在も445Hzあたりで演奏しているらしい。あまり高くなりすぎると歌手だけでなく、シロフォンやチェレスタなんかとも具合が悪くなるので、ピッチを下げようという提案が時々議論されるそうです。

※ヤマハとSchiedmayerのサイトを調べたら、現在売ってる新しいチェレスタはデフォルトで442Hzのようです。考えてみれば新しい楽器に買い換えてもらうために442Hzの楽器を作るのは当然の商売行為です。でもスタジオなどに置いてある古いチェレスタは440Hzで、オケなどがどのくらい新しいものに換えているか不明です。

日本では「何となく」A=442Hzがいまのところ丁度いい感じらしいので、皆なんとなく従ってるのです。

もう1つの大きな理由は、我が団の管楽器がモダン楽器である、ということです。我が団の管楽器は20世紀以降に作られたもの、しかもこの50年以内に作られたものと思われ、それらはA=440Hzを基準にして作られています。でも「モダン楽器=440Hz」というような単純な話ではありません。そこでちょっとピッチの歴史的推移を調べてみます。

コーアトーンとカンマートーン

バロックの時代にはコーアトーンとカンマートーンという2種類のピッチが併存していたというのは聞いたこともおありだと思います。どうして2種類あるのかというと、そもそも教会では無伴奏で歌っていたときはピッチなんてあまり気にしていなかったのであり、そのうちオルガンを使うようになって、そのオルガンのピッチがコーアトーンというものなのです。長いこと教会ではオルガンしか使わなかったので、オルガンのピッチが様々だと、教会によってピッチはバラバラということになります。オルガンを使っているうちに調律が狂ってくるとパイプを切って調節していました。そうするとピッチは高くなってしまいます。頻繁に調整している栄えている教会のオルガンほどピッチが高かったとかいう話も伝わっています。さらに、パイプを短めにすると材料代が安くすむというのでピッチの高いオルガンを作る、というひどい話もあります。

北イタリアや北ドイツのコーアトーンは概ね高かったようです(オルガンの調整に余念がなかったのでしょうか?)。

○ヴェネツィア  A=約455Hz(Agricola,1757)

○Nordhausenのブラジウス教会 A=約480Hz

○現存する17世紀のドイツのオルガンの平均はA=447

こういうわけで、コーアトーンといってもピッチは現在のスタンダードよりぐっと高いですが、場所によってバラバラで、コーアトーンの標準というものはありません。コーアトーンという言葉に意味が出てきたのはカンマートーンというものが出現したからです。

弦楽器とか管楽器とかいうものはルネッサンス期くらいまでは世俗音楽用のものだったのです(サックバットとコルネットを除く)。教会で使うということはないのでオルガンのことは気にしないで作ってました。

カンマートーンというのは器楽のためのピッチであり、もっぱら宮廷の奏楽でのピッチです。優れた弦楽器はイタリア、木管楽器はフランス、金管楽器はドイツ(のニュルンベルク)と言われたように、木管を交えた合奏はもっぱら17世紀後半のフランスで盛んになりました。フランスのピッチは低く、ヴェルサイユピッチ(A=約392Hz)なんて、すごく低いのもあります。しかし、その後やや高くなって行って、

○Hotteterreのトラヴェルソ A=398Hz

○リュリのオペラでのピッチ A=約410Hz

なんていう風にやっぱり場所によってバラバラですが、ある程度上がりはしましたが、やっぱりドイツの教会のオルガンよりぐっと低いです。

フランスの木管楽器やそのコピーの楽器が普及して、やがてヨーロッパ中の宮廷や劇場に広がると、自然とフランス流の低いピッチが浸透します。しかし当時は場所によってピッチはマチマチだったので、木管奏者は替え管(管の中間部分)をいくつも持ち歩いてピッチを合わせていたようです。

バッハの場合

そして17世紀後半になると木管楽器も金管楽器も教会でも演奏するようになります。そうするとどうしてもオルガンと合わせなければならないですね。特に北ドイツではオルガンの調律が高いところが多かったようなのでいろいろ工夫が必要です。バッハの106番のカンタータ「神の時はいと良き時」の譜面はいくつかの筆写譜で伝わっていますが、Es-DurのものとF-Durのものが混在しています。旧バッハ全集ではEs-Durを採用していたので、これが普及しましたが、どうもEs-Durはオルガン用のものだったようで、リコーダーはF-Durで演奏していたっぽいです。アルトリコーダーはご存知の通りin Fの楽器ですが、オルガンが全音近く高かったのでこういう処置をしたようです。

こんな風にオルガンの譜面だけ調が低い、という例は多く見つかっています。

当時のバッハの周囲のオルガンのピッチはA=437~486Hzという風に、非常にバラバラですが、極めて大雑把に平均をとってA=465Hzとすると、A=440Hzとした時のA#(466Hz)とほぼ同じです。

バッハの譜面が示すように、コーアトーンがカンマートーンより全音高いのならば、A=440Hzとした時のG#の415HzをAにしたらいいのではないか、という感じで現在のカンマートーンA=415Hzが決まってきたんだと思います。これは440Hzの半音下なのでチェンバロにとって都合がよく(現代のチェンバロの鍵盤はまとめてごっそり半音スライド出来るようになってる)、広く普及したのだと思います。特にやはり管楽器を統一しなければ実際上困るので、ここでバロックのものはカンマートーンA=415Hzで行こう、という動きになったのは当然です。

でもすでに述べたようにバッハがA=415Hzを採用していた根拠などまったくないんです。むしろ証拠があるものは、

○J.Sauveurのチェンバロ(1713)A=405Hz

○B.Taylorのチェンバロ(1713)A=383Hz

というように低いものや

○ヘンデルの音叉(1740頃)A=422Hz

○クヴァンツの著作にあるヴェネツィアのカンマートーンA=455Hz

という高いものなどなど、カンマートーンがいつもコーアトーンより低いとも限らないのです。

A=442Hzで演奏するのもA=415Hzで演奏するのも現代のご都合主義によるもの

だからA=442Hzで演奏出来るバロックオーボエがあればそれを使えばいいし、A=415Hzで演奏出来るモダンフルートがあれば皆でA=415Hzにチューニングすればいいわけです。ピッチ=演奏スタイルというわけではないです。

ところでピッチの不統一というのは長く続いたもので、一般にバロックー古典派ー現代という風に徐々にピッチが高くなって行ったとは限らなかったのです。モーツアルトが好んでいたピアノ製作者シュタインの使っていた音叉はA=421Hzだが、1780年製の音叉にはA=409Hzというやたら低いものもあったり、ベートーヴェンの頃はA=433Hzくらいだったというのが定説ですが、英国図書館所蔵の1800年頃の音叉はA=455Hzとやたらと高いのです。

それでも管楽器の問題などもあって、一応19世紀の初頭には430Hz前後で落ち着きそうになったのですが、劇場を中心にピッチのインフレが始まり、パリオペラ座の音叉は、

1810年 A=423Hz

1822年 A=432Hz

1855年 A=449Hz

という風に上がっていって、ついにはヴェルディをして「我々がローマでAと思っている音はパリではBbだ。」と嘆かせたそうです。

俺の和声法講座 その2

前回の講座の要点は

和声法はカデンツである。」と
カデンツは2つの音の連続があれば成立する。」

ということでした。そして最も基本的なカデンツの和声法「ⅤーⅠ」はルネサンスの音楽家が成立させた、ということも述べました。これでカデンツ及び和声法の重要なポイントの8割方は言い切ってしまったのですが、実際のルネサンス後期以後の音楽では、様々な和声の連続が出てくるので、これだけでは説明しきれません。それでも基本的にどんな状況でも上記2つのポイントのヴァリエーションで説明できるので、ここでそれを述べようと思います。

2.1 代用和音

カデンツの進行は僕の考えるところ:

○ⅤーⅠ ドミナントートニック(ハ長調ではソシレードミソという進行)

これが基本中の基本。ほとんどのカデンツがこれ。5度という安定した最高に調和した音程関係に由来している。

○ⅣーⅠ サブドミナントートニック(ハ長調ではファラドードミソという進行)

いわゆるアーメン終止。4度という安定した最高に調和した音程関係に由来している。

この2つでほとんどヨシなんですが、そうでない進行も現れます。しかしその場合もⅤーⅠのヴァリエーションと考えることが出来ます。Ⅴの和音の代わりを務めるイレギュラーな和音を代用和音とします。

 

これはバッハのトッカータとフーガニ短調の冒頭のおなじみのカデンツです。終始和音はDなのでⅤーⅠならばAーDとなるべきところですが、ここではDのオルゲルプンクトの上でC#dim(C#を根音にする減7和音)ーDとなっています。このように減7和音はドミナントの代用和音としてよく使われます。普通のカデンツとは違った強烈な色彩を放っていますね。

これはモーツァルトのレクイエム「Dies ire」の一節です。やっぱり減7和音がⅤの代わりに使われています。

近代の音楽やジャズではもっと凝ったドミナントの代用和音が使われますが、そのことは後で述べようと思います。

2.2 パッシング・ノート

パッシング・ノートというのはある音からある音に移り変わる途中にある経過音のことですが、その中でも和声法にとって重要なのは、和声の色彩を変化させる非和声音と、和声進行における魔法の音とも言うべき係留音だと思います。

2.2.1 非和声音

楽典などを見ると、長調でも短調でも3度5度で構成された和音だけを協和した和音で、それ以外の音は不協和音とするようです。実際には至る所で不協和の音程が出て来ますが、近代以前の音楽ではその殆どはメロディーの進行上で発生するものです。経過音が発生由来であっても、和音の音色自体を意識的に求めて使っている場合、その非和声音を含む不協和音を独立して考えることが当たり前になっていったと思います。ドミナントのところで7度を加えるのは、非常に当たり前の用法です。

 

上の譜面でヴィオラのAの音は7度の不協音程で、これがいわゆる属7の和音です。カデンツで普通に使われる和音ですね。

もっと積極的に不協和音を使う例はおなじみバッハのマタイ受難曲の「ああ、ゴルゴタ」で聞き覚えがあると思います。

 

この2本のオーボエ・ダカッチャのオスティナートで放たれ続ける不協和音は、とても強烈な印象を与えますね。ここではバッハは、ドビュッシーやストラヴィンスキーのように和音を色彩的に使っているという風に感じます。

2.2.2 係留音

パッシング・ノートでも、和音進行に大きな影響を与えるものに係留音があります。前の和音の構成音が次の和音に移り変わっても残っているというのを係留音と言います。

これはモツレクの「Recordare」です。最初の小節のソプラノのFの音が次の小節の1拍目まで留まり、そこでバスのGの音と2度でぶつかります。この箇所でコードネームではBbsus4で、ソプラノが次にEに下がることでCメジャーの和音に解決します。同じように次の小節の頭でもGとA、その次はAとBbという風に2度でぶつかっては2拍目で解決するというパターンで進むカノンです。

1つ1つの不協和音から協和音への解決の動きが1つ1つのカデンツになっており、解決した和音(終止音)が新たな不協和音に向かう出発点になっています。

この不協和音から協和音へ解決するなめらかな旋律の動きは実に官能的な味わいをもたらします。この係留音のもたらすポリフォニーの快楽の世界はのちにワーグナーたちによって大きく拡大されることになります。

しかしこの係留音の最高の使い手は、やっぱりバッハであり、次の例では崇高で雄大な音響世界をそれによって築き上げていると思います。

これは「音楽の捧げもの」の6声のリチェルカーレの第1間奏部です。緩やかに上昇、下降するバス声部の上で和音がめくるめく変容し続け、38小節目の頂点に向かって素晴らしいクライマックスを築いています。赤い線が係留する音です。まさに係留まつりという感じですね。2部音符1拍ごとにコードネームを書いてみましたが、ジャズみたいなテンション・コードの連続であることが分かります。でもジャズみたいには響かないで、あくまでも崇高で感動的なのは、係留の効果と素晴らしいバス声部の動きのためです。

3 楽曲全体の和声法を調べてみる

ここまでで、和声法についてすごくザックリ見渡してみましたが、実際の楽曲全体ではどのように使われえているかを見てみたいと思います。まずコレルリのヴァイオリン・ソナタOp.5のへ長調の第1楽章です。

調性音楽のカデンツ、すなわち和声法は15世紀末のジョスカンたちによってほぼ完成されていましたが、17世紀に入ってもまだ旋律法などに教会旋法の影響が残っていて、ルネサンス的なクセがしばらく抜けなかったです(そこが魅力だったりするんですが)。そういう古いクセから完全に脱皮して、18世紀以降の古典的和声法を真に完成させたのは、17世紀末から18世紀初頭におけるアレッサンドロ・スカルラッティやアルカンジェロ・コレッリといったイタリア人たちだと筆者は考えています。コレッリのヴァイオリン・ソナタはいずれも完成度の高さを見せています。

色の付いた帯はそれぞれの調が確保されている部分で、それぞれその調の終止に向かうカデンツを含んでいます。

1~2小節はヘ長調のカデンツを2回行っています。次に転調して3~6の頭までハ長調のカデンツを3回。次に小さなヘ長調のカデンツを1回、ニ短調に転調してそのカデンツを2回やります。赤い丸の音は重要なパッシング・ノートを表していますが、この2つのカデンツをつなぐ低音に半音下降が用いられているところが実にカッコいいです。そして終止音のDの音が長く伸ばされて係留音となって次のイ短調のドミナントであるE7のまさにセブンスの音に変容するところがたまりません。

11~12小節は怒涛の係留まつりで、低音がシンコペーションで下降することそれ自体が係留を作り出しています。カデンツは小刻みになっていて、和声が激しく変化する所です。この部分が楽曲全体を起承転結の転の部分になっているところがミソです。

続いて結の部分になって安定したヘ長調のカデンツが何度も繰り返されて楽曲を閉じます。

一分のスキもない完全無欠の和声法に惚れ惚れとさせられます。

次におなじみのバッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュードの和声展開を見てみます。

この曲はアルペジオの和音進行だけで出来ていて、メロディーがないといっていい曲です。

この曲ではドミナント(Ⅴの所)において代用和音が使われるケースが多いです。そのときは大体減7和音が使われています。これら代用和音も実質的にドミナントの役割をするので5度音程と関係なくⅤと表記しました。、これもドミナントの拡張と見なします。

9~11の「ⅡーⅤーⅠ」という展開はジャズでは「ツー・ファイブ」と呼ばれる、すごくなめらかなカデンツの形です。

12~13は本当ならAーDmと行くはずですが、ここではGdimを代わりにつかっています。前の小節のルートのGを係留させています。14~15も、同じノリで「GーC」と行くべきところを「DdimーC」としています。

16~18はまた基本的に「ツー・ファイブ」のカデンツです。

22~24はFからGへ向かうト長調のカデンツ(本来FーDーG)のはずですが、「F#ーAbーG」という風に低音が動いて、その上でF#dimーAbdimという2つの減7和音が続きます。減7和音には3つパターンしかありません。つまりどの調の減7和音も「CーD#ーF#ーA」か「C#ーEーGーBb」か「DーFーAbーB」という組み合わせのどれかになります。ここでは減7和音が転調しながら連続しています。これは19世紀の人には刺激が強すぎたらしく、2つの和音の間に緩衝材としてEb6の和音を挿入した譜面が流通していて、グノーの「アヴェ・マリア」はその版を使ってるので原曲より1小節長くなっています。

この波乱の和声展開のあとは終結に向かって落ち着いて行きますが、単純には終わらせない。Gのオルゲルプンクトが鳴り続ける中、係留や減7和音で明暗を絶妙に変化させながら終わって行きます。

この曲から代用和音や係留などの要素を取り除いて、単純なドミナントの和音に置き換えたらどのように聴こえるか、というのをやってみます。青い色の付いている小節の和音が置き換えられている所です。単細胞のポンコツ編曲家による修正バージョンをお聴き下さい。

俺の和声法講座 その1

稲垣さんは音楽に対して高い意識をお持ちで、和声法などについても詳しく知りたい、と筆者は言われました。ところが筆者は学校でそれを習ったこともないし、ろくすっぽ和声法の本を読んだこともありません。しかし、そのことが却って和声法を解りやすく説明できるような気がしたので、ここでやってみようと思います。

学校で習う和声法は独特の用語を使っていたり、どうも取っ付きにくいと感じます。ここでは実際の音楽での使用法を具体的に紹介することだけにして、理論的な解説はできるだけ避けようと思います。和声法を生み出しつつある当時の音楽家の気持ちを探ってみたいです。

またここでは基本的に15世紀あたりから19世紀あたりまでの西洋音楽における和声法(機能和声とかいうやつ)を取り上げます。

1 和声法の起源

和声法の始まりは「カデンツ」にある、

と言い切ってしまいましょう。古来からのものでそうでない和声も存在します(例えば、読経のヘテロフォニーとか、雅楽の笙の出すハーモニー)。そういったものはアンビエントのサウンドというもので、メロディーを推進する力はないので、ここでは除外します。

1.1 カデンツの発生

基本的に単旋律で出来た音楽にも、ハッキリとした終始音がある場合があります。

とても古い曲、上記「今様」の場合、フレーズの切れ目がいつも「ラ」の音になってますね。しかもいつも「ソーラ」という動きになってます。これがこの曲のカデンツ(終止形)です。

これはグレゴリオ聖歌のKyrieの1節ですが「レ」が終止音で「ミーレ」というカデンツです。

これとまったく同じカデンツの形ですね。こういうものは世界中に普遍的に存在していると思います。カデンツというものは

最低2つの音(終止音じゃない音と終止音)

があれば成立します。

こういう風に単旋律だけど、決まったカデンツの形を持っている旋律を「旋法を使っている」と言うことになってます。

旋法というのは琉球旋法を思い浮かべればわかるように、メロディーの元となるスケールの並べ方のことで、和声法とは本来関係ないものです。というか和声法というものが古今東西の音楽で極めて特殊なもので、普通は旋法で単旋律を作って歌うものです。西洋音楽も元々はそういうものだったのですが、次第に和音を使うことを思いつき、カデンツの和声的処理を工夫するうちに和声法が出来上がっていったのです。

1.2 ドミナント(5度)を意識する

「もういいかい、まーだだよ」くらい短いと終止音の周りをウロウロするだけでメロディーが成り立ちます。

が、もうちょっと長くなると、何か変化がないと退屈になってくるのが人情というものです。

第2の中心音というか終止音というかを置くことが極自然に行われました。そこで主音に対して5度の音程にある音が何か心地いいことに誰もが気付くわけです。

次の例は13世紀の吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの「パレスチナの歌」という十字軍を歌った歌で、もちろん和音なんてついてない状態で伝わっている歌です。

ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの「パレスチナの歌」

赤い丸が最初の1、2行目の開始音と終止音、及び4行目の終止音で、青い丸が3行目の開始音と終止音です。

基本の終止音は譜面上のレですが、3行目では5度上のラを中心にしているのがわかりますね。

この歌も3節目で5度に行ってますね。

5度音程というのは振動数の比が2:3なので(つまり基音の1.5)、とてもキレイに共鳴する音です。複数の弦を張った弦楽器を作ったら、必ず調弦したくなる音程関係であり、実際に古今東西の弦楽器でこの5度は採用されています。

これに続いて4度音程というのも振動数の比が3:4でキレイに共鳴する音なので、調弦によく使われています。

僕の考えでは、弦楽器をポロンポロンやりながら歌っていたら、自然に5度や4度に意識が行くだろうな、と思います。

このように5度や4度のサウンドを重視する傾向が自然に生まれたということを確認したところで、つぎにポリフォニーの話に移ります。

1.3 ポリフォニーの発生

初期のポリフォニーというのはたぶんドローンを鳴らしながらメロディーを歌うというようなものから始まったのだろうと思います。ドローンとはずっと同じ音を鳴らし続ける伴奏の形で、バグパイプなどを思い出せば分かるでしょう。

やっているうちに、たまたま4度や5度音程が鳴るとキレイなのに気がついたのだと思いますが、今度はその4度や5度を多用してみようと考えたようです。最初のポリフォニー音楽と言えるのが「平行オルガヌム」というもので、次の例では4度の平行が使われています。

平行オルガヌム「Rex Caeli Domine

4度に行く途中に2度音程や3度音程が鳴ってしまう所がありますが、この当時はこのような音程は不協和音と考えられていました。

肝心なカデンツのところはユニゾンになっています。4度の和音で終わるのは「何かちがうなあ、やっぱりカデンツは単音だなあ。」と思ったんでしょうか。とにかくカデンツを和声的に処理するというセンスはまだ芽生えなかったのです。

次の例はぐっと進歩して自由で複雑なポリフォニーが発展しています。作曲家の名前もハッキリしていて、作曲に対する近代的な意識が生まれたこともわかります。

ギョーム・ド・マショー「ノートルダム・ミサ」のキリエ

これはギョーム・ド・マショーの、名前だけは有名な「ノートルダム・ミサ」のキリエの一節です。聴いてみると、各声部がウニョウニョ動いていて、何かアラビア風な感じもするし、汚い不協和音もいっぱい出てきて面白いですが、カデンツの和声的処理は成り行き任せな感じです(和声進行を基盤に声部を作るのではなく、旋律の進行に合わせて適当に和声を作ってる感じという意味です)。最高声部と最低声部が「ソーラ」という旋法的動きで、最後に空虚5度で終わるところが「新しい」です。5度の響きに大きな価値を見出したところが大発展です。

1.4 ポリフォニーの進展

フランチェスコ・ランディーニのバラータ「Cara mie dorena

これはフランチェスコ・ランディーニのバラータ「Cara mie dorena」の1節です。マショーもランディーニも14世紀の人で、親子くらいしか歳は離れていませんが、大分洗練されてきていて、3度で動くところなどがハッキリ現れています。しかしカデンツを和声的に処理することも、曲全体に和声的な構造を作ることもまだ行われていません。だた、注目すべきは赤い四角で囲ったところにある音形で、ランディーニはこの音形で終止するのを好んでいたので、この音形は「ランディーニ終止」と呼ばれます。不思議な、しかし如何にも中世の香りのする音形です。終止の音形に重みを持たせるというのはカデンツの発展に大きな力を与えたのではないかと思います。

上記の曲のコード進行が気になったので調べてみたのですが、下記の通り3度和音が多くて、現代人にも美しく感じられるのですが、近代的なカデンツの和声進行はなく、成り行き任せで進んでいる感じです。最後のランディーニ終止のカデンツも、Dm→Cという風に2度スライドして終わってます。

さて、ルネサンス音楽を切り開いた一人と言われるギョーム・デュファイになると、ぐっと和声進行が整理されてきます。下記は「Missa “Se la face ay pale”」のキリエの最後のところです。バスが終止音の前に5度の音を置いています。

ここでついにⅤーⅠ(ドミナントートニック)という完全なカデンツの和声法が現れています。

ただし、最後の和音はあいかわらず空虚5度で、3度を嫌っているのがこの時代の感覚なんですね。現代人からすると「空虚」ですが当時の人からすると「完璧なクリアさ」の響きだったのではないかと思われます。

ギョーム・デュファイ「Missa “Se la face ay pale”」

デュファイから50年ほど後、15世紀末に活躍したジョスカン・デ・プレに至ると、ほとんど完璧なカデンツの和声法が完成しているのを見ることが出来ます。

ジョスカン・デ・プレ「Ave Maria

Ave Maria」の終結部では、完全にホモフォニーで書かれていて、ガッチリとした骨組みの和声展開がなされています。もはや成り行きまかせなポリフォニーではなく、和声的カデンツの原理が成立した、という印象を与えます。下譜の最初の4小節は「ⅣーⅠ」(サブドミナントートニック)、いわゆるアーメン終止というカデンツで、そのあとは「ⅠーⅣーⅤーⅠ」という完全に典型的な調性音楽のカデンツ(起立ー礼ー着席のときの和音型)になっています。ただし最後の和音は未だに空虚5度なのです。

ここに至って、西洋音楽の最も重要な基礎が成立したと僕は考えます。これは今日に至るまで世の中に流通する音楽の大部分に大きな影響を与え続けています。しかし覚えておいて欲しいのは、ジョスカンたちには理論書も教本もなく、先輩たちの作った不完全な音楽の中から美しい部分だけを選り抜いて、練りに練りながらこのような美の結晶のような音楽を作り上げた、ということです。ルネサンスの音楽家たちが彫琢を繰り返して作り出した音の結晶は、自然界における対称性や美しい比率を秘めた音響世界を探求した結果なのであり、理論が先にあったわけではないです。

ルネサンス音楽は高度にポリフォニックですが、同時に和声的なカデンツを数珠つなぎにしたような構造をしており、このようなカデンツ中心の原理があってこそポリフォニーを発展出来たのだと思います。次の例はとてもホモフォニックですが、ルネサンスらしいカデンツの動きを満載したもので、ルネサンス音楽の本質的なものが解りやすく感じられると思います。オルディランドゥス・ラッススの「Matona mia cara」です。

最初の6小節はへ長調で「ⅣーⅤーⅠ」のカデンツで終わります。これをもう一回繰り返して、13小節目のアウフタクトから次の節になって17小節目にハ長調のカデンツになります。その後はまたヘ長調です。この展開自体が「ⅠーⅤーⅠ」というバロック音楽でも古典派の音楽でも通常の展開といえるもので、調性音楽の和声法はここに完成している、と言えるのですが、聴いているとなんともルネサンスの味わいがしますね。その正体は茶色い枠で囲ったところに現れるミクソリディア旋法的な低音進行です。

最初にいきなりバスが「FーEbーF」という風に動きますが、これはミクソリディア旋法のカデンツ「シbード」です。だからこの最初の6小節は前半はミクソリディアのカデンツ、後半はヘ長調のカデンツで出来ているのです。また、13小節目からハ長調になるはずなのですが、ここでもいきなり「FーBbーF」というCの調からするとミクソリディア的な動きが出ます。そのあとドッペルドミナントのDの和音が出ます。ドッペルドミナントは近代的な音楽でもよく使いますが、ここでは「CーD」という全音一気に上るというやり方で、こういうところは如何にもルネサンス的に聴こえます。こういうやり方といい、ミクソリディアといい、3和音を使ってダイレクトに和声をスライドさせる味わいは実に面白いです。

その1終わり

2021年演奏曲の解説

ミサ曲ト長調 BWV236

バッハは1733年にドレスデン宮廷のために、後にミサ曲ロ短調のキリエ・グローリアとなる小ミサ曲を書きました。これは宮廷音作曲家の称号を得て現在の地位や就職活動を有利にするための行動だったようです。3年後に称号を得ることが出来ましたが、その後、1738~39年頃にさらに4つの小ミサ曲を作りました。このキリエ・グローリアミサはライプツィヒのプロテスタント教会でも使用可能なものですが、ドレスデンのカトリック教会のためとも、ボヘミアのリサー(Lysá)に住む、アントン・フォン・シュポルク伯爵のために書かれた、とも言われています。

キリエ・グローリアのラテン語聖句による楽曲はライプツィヒの礼拝でも用いられていましたが、それまでにバッハの作例はなく、この時期に俄に作られたのは、こうしたカトリック関係者との接触が関連していると見るのはありそうなことです。

これらのミサ曲はミサ曲ロ短調と同様に、カンタータなどからの楽曲の転用で出来ています。しかしこれは手抜きではなくて、むしろ自信作をアレンジし直して編集するという作業を施しているのです。壮年期以降のバッハはそれまでの作品や自分の技法に彫琢を施して完成度の高いものを仕上げようという傾向があり、これらのミサ曲もそういったものと言えます。

1. Kyrie 合唱

BWV179「心せよ、汝の敬神の偽りららざるかを」の第1曲を持ってきています。「あなたの神を恐れることに偽善はないですか?神につかえる心は偽りでないですか?」という歌詞なので厳しさを湛えた音楽です。反行フーガにしているのもそういう意図があるのでしょう。「偽善」「偽りの」という語に半音進行をあてていて、それが曲全体のムードを決定づけています。2重フーガというほどでもないのですが、2つ目の主題の小さなストレッタ風の入りがあり、これがこのミサでは「Chiriste eleison」の主題として上手く機能しています。とにかくポリフォニー好きの人を唸らせる要素満載の渋いフーガです。

2. Gloria 合唱

BWV79の第1曲を元にしています。原曲の歌詞は「主なる神は太陽なり、盾なり」というもので、マルティン・ルターが教会の扉に「95か条の提題」を釘で打ち付ける様をティンパニの8分音符連打によって表現するところが面白い楽曲でした。このミサ曲はルターの故事と関係ないので、ティンパニも連打も取り除かれています。ついでに2本のホルンも取り除かれて、冒頭のホルンのメロディーは合唱のソプラノとアルトに歌わせています。オーボエのパートはもともとのパートとホルンのパート混ぜたものに書き換えられました。ほかにもちょこちょこいじっていますが、大筋は同じ音楽です。

音楽的には、コンチェルト・グロッソに合唱のオブリガートをつけたようなスタイルになっていて、重要な主題はほぼオーケストラの方にあります。冒頭に出るソプラノ・アルトの主題がリトルネッロの役割を果たして、そのあとに8分音符連打の名残であるフガート主題が出て、それらが交代しながら進行します。まったくコンチェルトを先に作曲して、あとで合唱をつけたような感じです。

余談ですが、このミサがカトリック関係者のために作られたのだとしたら、このルターの故事にちなんだ曲をわざわざ持ってきたのは、なかなか皮肉が効いています。

3. Gratias バス・ソロ

BWV138の第4曲「神にこそ、わが信頼あり。わが信仰の内にこそ神の支配あり。」というアリアが元曲です。ストリングスがメヌエット風のリトルネッロを繰り返しながら進行するスタイルです。

4 .Domine Deus Agnus Dei ソプラノ・アルト・デュエット

BWV79の第5曲のソプラノとバスのデュエットが元曲で、ここではソプラノとアルトに変わっています。元は「神よ、我らを見捨てることなかれ」といった歌詞でした。原曲とこの曲を比べると、バッハが楽曲に磨きをかけるやり方が分かって、興味深いです。原曲よりもあらゆるところが装飾的になっていて、ヴァイオリンのオブリガートはよりカンタービレでロマンティックなメロディーになっています。

BWV79の第5曲のヴァイオリン

当曲のヴァイオリン

5. Quoniam  テノール・ソロ

BWV179の第3曲「不実な偽善者の姿はソドムのりんごと呼ばれる」といった歌詞で、「内面は汚物でいっぱいだが外面は綺麗な偽善者は神の前には立てない」という風に厳しく糾弾する内容をオーボエとストリングスが激しい調子で煽り立てるような曲だったのです。ところがこのミサでは伴奏はオーボエソロだけになっており、しかもAdagioという指示が加えられており、まったく雰囲気が違うものになっています。元曲で表現していたメロディーやハーモニーを、まったく正反対のような歌詞のところに持ってくる、その無神経さに驚かされますが、細かい所にものすごく手を入れてすっかりリファインされており、元曲を知らなければ何も疑問に思わないでしょう。

6. Cum Sancto Spiritu

BWV17「感謝を捧げるものはわれを讃う」の冒頭合唱のパロディーです。ここでは4/4拍子のホモフォニックなイントロが付け加えられています。3/4拍子に変わると開放感あふれるフーガの開始です。原曲と違うのは、主題の入りのところに毎回トゥッティで叫ぶ1小節が加えられている点です。

モテット「Jesu meine freude」BWV227

このモテットも葬式用でないか、という意見が多く、一節には1723年の7月にあった葬式ではないかと推定されています。また、ここで引用されている聖書の文言は神学的な内容なので、Christph Wolffによると教育用を兼ねた作品ではないか、とのこと。

コラール「Jesu meine freude」の第1節~第6節の間に新約聖書のローマ書の文言をサンドイッチした構造になっています。シンメトリーの構造になっていて、その中心にフーガ楽章が置かれています。

このコラールはヨハン・フランクの歌詞、ヨハン・クリューガーのメロディーの人気のあるコラールで、バッハの親戚のヨハン・ミヒャエル・バッハのモテットでもこれと同じ調で使われてるそうです。

ローマ書はパウロがローマの信徒たちに書いたものとされている手紙で、極めて初期の信徒たちにキリストとはどういう存在なのか?神を信ずるとはどういうことなのか?という基本的なことを説明する内容になっています。すごく大雑把にいうと「我々は罪人であり、その報いは死である→イエスは我々の罪を贖うために死んだが神は彼を復活させた→イエスとその復活を信じることで我々は永遠の命を得る→信仰こそが大事だ。」という感じのことが語られています。この「信仰こそが」という部分がマルティン・ルターをして「新約聖書で最も重要な書簡」と言わしめたところです。

このモテットではコラールの情熱的で怒りに満ちた歌詞を、ローマ書の文言が理性的に補足しているような展開になっています。そのために理屈っぽくなっているのは否めません。

1. コラール

コラール第1節が4声でシンプルに歌われます。

2. 5声楽曲

テキストはローマ書8:1、8:4。「もはや彼らは断罪されることはない。」の「ない(nicht)」をエコーとして繰り返してします。そのダイナミックレンジがfからppにまで至っているのはとても珍しいです。「肉に従うのではなく霊に従え」というのはこのモテット全体もモットーといえる言葉です。

3. コラール

コラール第2節が5声で歌われます。激しい歌詞の内容に沿って中低声部に躍動感があります。「Hölle(地獄)」の減7和音が印象的です。

4. 3声楽曲

テキストはローマ書8:2。上3声だけで歌われます。バセットヒェンですが、アルトがバスの代わりをしてトリオ・ソナタ的に進行します。「キリストによって罪と死から解き放たれる」といった内容です。

5. コラール自由曲

「古きドラゴンが何だというのだ!大口を開けたって無駄だ!」

コラール第3節はコラールのメロディーを使わず、自由に作曲されています。「古きドラゴン」というのはルターの改革に反抗するもの(主にカトリック教会)を暗示しています。

とても戦闘的な歌になっており、「Trotz(ものともせず)」の語の叫びが執拗に扱われています。またユニゾンが頻繁に現れて強い決意を表現します。

「Tobe(荒れ狂え)」のバス声部の荒れ狂いぶり、「in gar sichrer Ruh(安全な憩いの中で)」での静かに下降してゆく様など、言葉を音に描く表現力が聴きどころです。

6. 5声フーガ

テキストはローマ書8:9。この曲がモテットの中心部分であり、この曲で折り返すようになっています。このモテット全体はバッハにしては比較的ホモフォニックに書かれているのが、この場所にフーガが置かれていることでより一層くっきりします。モットーである「肉でなく霊であれ」ということが歌われます。「geistlich(霊)」に長いメリスマが充てられています。「So anders Gottes geist」のところから別のフレーズによるストレッタが現れ、最初のテーマと組み合わされて2重フーガのようになります。

7. コラール

コラール第4節がまた4声に戻って歌われます。

「Weg! weg!(去れ!)」の叫びはヨハネ受難曲を思い出させますが、激しい歌詞に合わせてここでも伴奏部には動きがあります。

8. 3声楽曲

テキストはローマ書8:10。第4曲とは対照的に下3声部によるトリオ・ソナタ的なタッチの曲です。12/8拍子のパストラーレ風に優美に始まりますが、「Der Geist aber ist das Leben」のところから活発な動きに変わります。ここでも「Geist(霊)」に対する表現が見られます。

9. コラール

コラール第5節は4声のコラール・ファンタジーとして作られています。テノールが低音進行を肩代わりしているバセットヒェンで、アルトにコラール旋律があります。現世のすべてに「Gute Nacht(おやすみなさいー消え失せろ、という意味)」と告げる歌で、Richard D. P. Jonesは「イエスの欠如(バスの欠如)がこの世の脆弱さを表している」という面白い指摘をしています。

10. 5声楽曲

テキストはローマ書8:11。第2曲の音楽が戻ってきます。「イエスをよみがえらせた神の霊があなたたちの中にあるなら、あなたたちも生かされる」という内容です。ここでもソプラノⅠの最後の「Geist」に印象的なメリスマがあたえられています。

11. コラール

コラール第6節が第1曲とまったく同じ形で歌われます。

Tönet, ihr Pauken! Erschallet, Trompeten!(ティンパニを響かせろ!トランペットを鳴らせ!)BWV214

世俗カンタータと呼ばれることがありますが、本当は「Drama per Musica (音楽劇)」と題されており、4人の歌い手には役柄が割り当てられており、オペラもどきのものと考えることが出来ます。合唱曲も、4声部に4人の歌い手のそれぞれの役割が記されており、実際に4重唱で歌われたものと思われます。

この曲はポーランド王及びザクセン選挙侯妃マリーア・ヨゼファの誕生日用に1733年に書かれ、その年の12月8日にツィンマーマンのコーヒーハウスでコレギウム・ムジクムとともに演奏しました。

ちょうどこの年にポーランド継承戦争が起こっており、このことが曲の中に反映しています。そのことにちょっと触れると、ポーランド王を兼任していたザクセン選挙侯アウグスト2世がこの年の2月に亡くなると、ポーランド貴族スタニスラフ・レシチニスキがフランス軍を後ろ盾にして王位継承を主張したが、神聖ローマ皇帝カール6世はこのマリーア・ヨゼファの夫であるフリードリヒ・アウグスト2世を推した。同年(1733年)10月にロシア軍の力を借りたフリードリヒ・アウグスト2世はワルシャワに入城して王位に就いた、という経緯です。だから誕生祝いの中に戦勝の喜びがあふれているのが理解出来ると思います。

内容は、ギリシャとローマの女神が王妃と選挙侯の統治(というか継承戦争の勝利)をヨイショしまくる、というもので、現代日本人にとって共感するところも面白さもまったくないというものです。それでもこの中の多くの曲がクリスマス・オラトリオに転用されたように、音楽自体の素晴らしさは否めません。

では登場人物を紹介しましょう。

ベローナ(ソプラノ)はローマ神話における戦争の女神です。軍神マルスの妻という設定もあるそうです。

パラス(アルト)はギリシャ神話のアテーナーの異名です。もともとアテナイ(アテネの古名)の守護女神で、ローマにおいても都市守護者として祀られていました。

イレーネ(テノール)はギリシャ神話のエイレーネーのことで、平和の女神です。

ファーマ(バス)はギリシャ神話のペーメーのことで、その名(ラテン語ではFama)の通り、名声や噂を擬人化した女神です。

テノールとバスも女神役というのは、4重唱のためのご都合主義かもしれません。が、歌舞伎だと思えば納得出来るかもです。

第1曲 合唱

合唱と書いてありますが、上述のように4人の女神の4重唱です。戦勝ムード爆発と考えれば、このティンパニとトランペットの活躍も納得がいきます。

ティンパニソロで曲がはじまるのは珍しくバッハではこの曲だけですが、当時の軍楽を再現したものを聴くと(たとえばリュリの”Marche pour la Cérémonie des Turc”のような行進曲)、まずティンパニのようなドラムが先導してリズムを提示してからトゥッティが出る、というやり方をしているので、それを模しているのかもしれません。その後、まさに勝鬨の声を上げるようなトランペットのファンファーレの上昇が起こり、交差するようにヴァイオリンの華々しい下降音形がそれに答えて、素晴らしくスペクタキュラーなサウンドが作り出されます。この曲は全体的に、目の覚めるようなオーケストラのサウンドが聴きどころになってます。

第2曲 レチタティーヴォ イレーネ(テノール)

平和の女神の語りです。「この日、ポーランド人もザクセン人も最高の喜びと幸福を感じてます。」なんて言っていますが、「私は暗い雲も荒れた天気も恐れません。」とも言い、また戦争になっても平気だと言わんばかりです。

第3曲 アリア ベローナ(ソプラノ)

さっそく戦争の女神ベローナが登場します。「フルートを上手に吹いて、その勝ち誇る歌で敵とユリの花と月を赤面させろ。戦闘の音で音楽を奏でろ。」言葉の通りに2本のフラウト・トラヴェルソが伴奏します。あまり「戦闘の音」の感じはしません。

第4曲 レチタティーヴォ ベローナ

「私の鉄の砲弾が空中で炸裂する、愉快な炸裂音、楽しい光景」こういう所では通奏低音も炸裂音を表現しようとしてのたうち回ります。戦争を賛美しまくるレチタティーヴォです。

第5曲 アリア パラス(アルト)

「貞節なミューズたちよ、月並みな歌は歌わないで!今日は特別なお祝いの日です」

オーボエ・ダモーレが伴奏するアルトのアリアというバッハ好みの同じ音域同士の組み合わせです。双方が超絶なメリスマを連発していて、たしかに月並みな歌ではないです。

第6曲 レチタティーヴォ パラス

「天から遣わされた我らが王妃は、ミューズたちの保護者であり安らぎの源です。」ヨイショしつつ、音楽家のこともヨロシクね、というメッセージもちゃっかり入っています。

第7曲 アリア ファーマ(バス)

「王妃よ、私はあなたの名声を世界中に広めます。」噂と名声の女神として当然のことを言っています。王族を讃えるのに相応しく、トランペットが色を添えます。

第8曲 レチタティーヴォ ファーマ

「かくして私の口から溢れる王妃への称賛の言葉は地球の隅々に届くだろう。」星の彼方にまで届く名声を表現するためか、4本の木管のアルペジオが星のきらめきのようなサウンドを添えます。

第9曲 合唱

オーケストラの派手な前奏が終わり、最初にイレーネが「咲け、ザクセンのシナノキよ、ヒマラヤスギのように」と歌い出すと、「武器と馬車と車輪の音を轟かせろ!」とベローナが続き、パラスが「ミューズたちよ、最高のハーモニーで歌え!」と歌ってからやっとトゥッティ(といってもファーマが加わるだけですが)になって「幸せな時よ、喜びの時よ!」と歌います。この曲はクリスマス・オラトリオ第3部の最初と最後を縁取る曲に転用されていますが、その曲しか知らなかった頃に、どうしてこのコーラスの入りはいつものフガートのような同じフレーズでないんだろう、と疑問に思っていたのですが、この原曲を聴けば納得が行きます。それぞれ別の人物の言葉だったんですね。

2020年度演奏曲の解説

BWV34「おお永遠の火、おお愛の源よ」

バッハは1725年から1727年の間のどこかで結婚式用カンタータ(Bwv34.2)を書いたのですが、その中の3つの楽章を同じ音楽とする礼拝用のカンタータを1727年6月の聖霊降臨祭に上演したことを示す資料が近年発見されました。どちらのカンタータが先に書かれたか今のところ分からないようです。この礼拝用のカンタータの楽譜は1740年代に新たに書かれたものだけが残っています。このスコアはバッハの自筆譜ですが、部分的に抜けている所があり、その部分は息子のフリーデマン・バッハの筆で埋められています。どうして新しく書き直したのか、どうして抜けている部分があるのか、などは気になる点です。しかしながら抜けている部分は他の箇所から容易に埋めることが出来るために、完成された作品であると言うことは出来ます。

結婚式用カンタータと当曲(礼拝用)では殆ど同じ歌詞が用いられているので、曲のコンセプトも同じとみなすことが出来ます。聖霊降臨についての聖書(使徒行伝)の記事には「天から炎のような舌が一人ひとりの上に降った」とあり、「愛の炎」を讃える結婚式用曲と「互換性」があります。バッハ時代の聖霊降臨祭には、聖霊降臨についての節「信徒たちは降りてきた精霊に満たされ、様々な国の言葉で語り始めた」と、ヨハネ福音書から「イエスは言われた;私を愛する人は私の言葉を守る。父と私はその人と一緒に住む。私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える。」といった部分が取り上げられていたようです。カンタータの歌詞もこれに従い、言葉について、住まいについて、神の祝福について、神の平和について語られます。

第1曲は後期のカンタータに特徴的なダ・カーポする大きな合唱曲です。さっそく歌詞の音画表現が見られます。トランペットは「ewiges(永遠) 」をロングトーンで表します。

ヴァイオリンが「feuer()」をメラメラする音型で表します。

これは当然合唱でも繰り返されます。そして両モチーフで2重フーガ風に展開させながらもシリアスにならず、軽快で華やかな雰囲気を保ち続けます。

第2曲「真理の言葉」と「住まい」について言及されます。

続く第3曲でも信者の魂が神の「住まい」になることが歌われます。弱音器を付けたヴァイオリンのオクターブ上をフルート・トラヴェルソが重ねるという精妙なサウンドがアルトに纏わるという魅惑的なアリアです。

次のレチタティーヴォは主の祝福の言葉を導き出す内容で、最後の1節がそのまま合唱による祝福の言葉に続いています。ここはオラトリオのようなドラマティックなシーンになっています。

最後の合唱は祝福の言葉「イスラエルに平安あれ!」を叫んだあと、オーケストラが音階を駆け上がる豪壮な音楽になります。単純な2部形式でホモフォニックにかかれており、バッハにはめずらしく合唱とオーケストラが一丸となって突き進む非常に晴れやかな音楽です。

ところで、「イスラエル」とは何か?というと、旧約聖書で預言者の元祖といわれるアブラハムの孫であるヤコブが「天使と相撲をして勝った」ことで名付けられた名が「イスラエル(神に勝つ者)」です。このヤコブはユダヤ民族の元祖になったので、ヤコブの子孫たちもイスラエルと呼ぶようになり、ユダヤ教を奉ずる者全体をも指すようになりました。旧約聖書を継承するキリスト教では、もちろん神を奉ずる者全体を指すようになっています。

BWV225 モテット「主に向かいて新しき歌をうたえ」

バッハのモテットは大抵は特殊な機会(たとえば葬式)に演奏するために書かれています。このモテットは1726~7年のあたりに書かれたようですが、何の目的に書かれたか分かっていません。歌詞は詩篇149と詩篇150およびコラール「Nun lob, mein Seel, den Herren」に依っています。他のモテットに比して飛び抜けて輝かしく、構成は壮大で、テクスチャーは緻密を極めており、モーツァルトやブラームスといった大作曲家を驚嘆させた曲としても知られています。

2重合唱8声部で全体は3つの部分で構成されています。

第1部は最初に「Singet!(歌え!)」と、2重合唱が呼び交わしながら始めます。「Die Kinder Zion sei’n frölich」から第1コーラスがフーガを始めますが、ここでは第2コーラスは冒頭の主題を続けながらフーガの背景に回ります。フーガが進むに連れて両コーラスの壁が崩れて渾然一体となりながら高揚していく様は見事です。

第2部では一転して内省的なコラールになります。「神は我らがただ塵に過ぎぬことを知りたもう」。第2コーラスがこの世の無常を述べるコラール歌いすすめるのに呼応して、第1コーラスは合いの手を入れるように祈りの言葉を添えていきます。この第1コーラスには「aria」というタイトルが付けられています。バッハは、コラール第2節を続けて歌うべきとし、その際は第1コーラスがコラールを、第2コーラスは「aria」を歌う、と記しています。ところがそれは譜面(パート譜も)には反映されておらず、第2節における「aria」の歌詞も記されていないので、2節目はほとんどの演奏されないようです。演奏例では「aria」は第1節を繰り返しています。

第3部でまた生き生きとした調子がもどって、ややホモフォニックな4声部の楽節を両コーラスでピンポンする展開になります。「Lobet(誉めよ)」の語の浮き立つようなフィグーラに注目してください。

Alles, was Odem hat」から両コーラスが1つになり4声のフーガになって全曲を締めくくります。

モーツァルトと当曲

1789年にライプツィヒに立ち寄ったモーツァルトはトーマス学校で当時のカントル、ドーレスによるこのモテットの演奏を聴きました。その場にいたJ.F.Rochlitzの証言によると、”モーツァルトは「何だこれは?」と叫び、聴き終わると「これは勉強しないと!」と言った。バッハのモテットのコレクションがそこにあると聞くと「それだよ!イカスぜ!」「それを見せてくれないか?」と言った。スコアの状態では持っていないと聞くとパート譜を周りに並べて座って、忘我の境でそれを見ていた。そしてそれらのコピーをくれるように頼んだ。”とあります。

モーツァルトの持っていた”Singet dem Herrn”のコピーには「これに完全なオーケストラ(の伴奏)を付け加えねば」と書かれているそうです。モーツァルトがもう少し生きていたらそんな珍ヴァージョンを聴けたかもしれません。

BWV21「わが内に憂いは満ちぬ」

このカンタータの残っている一番古い譜面は1714年の三位一体節後第3日曜日のために書かれたものようです。これはバッハ29歳という比較的若い時期の作で、若いバッハに特有の17世紀音楽を引きずっているような所と後の円熟したバッハの味わいを併せ持つと言われています。いずれにせよバッハ指折りの傑作であることは彼自身も自覚していたようで、その後も何度も再演しています。この曲のより短いオリジナル・ヴァージョンが前の年にハレの聖母教会のオルガニストの就職試験のために書かれたらしく、さらに1720年にハンブルクのヤコビ教会のオルガニストの就職試験でも演奏したという、相当な自信作だったことが伺える話が伝わっています。C-mollというバッハとしてはかなり珍しい調で書いたものをハンブルク用に一旦D-mollに書き換えながら、後にライプツィヒでまだC-mollに戻して書き直す、という面倒くさいことをやっており、よほどC-mollにこだわりがあったらしい。なおライプツィヒ版では合唱曲にソロとトゥッティの対比を設けたり、トロンボーンを合唱のコラパルテとして追加したりしています。

さてヴァイマールの宮廷詩人だったザロモン・フランクの作と見なされる歌詞の内容は、3つの詩篇と黙示録からの引用を含んでいます。このカンタータはバッハ自身によって「様々な機会用に」と記されていて、だからこそ時期を気にせず就職試験のような時でも演奏出来たのでしょう。2部に別れたこの作の前半部分では「信者」の魂がひたすら思い悩みます。人生の先行きや死への不安に押し潰されそうになっています。これは誰でもわかる普遍的な感情ですね。牧師の説教を挟んだ後半に入ると、突然イエスが登場して悩める魂を安らぎへと導きます。最後は黙示録からの、キリストを讃える合唱で力強く終わります。苦悩から歓喜へという、ベートーヴェンやマーラーの交響曲のような分かりやすい構成になってます。

曲は器楽のシンフォニアによって開始します。オーボエと第一ヴァイオリン(おそらくソロ)の対話がまさしく悩みというものをするどく音楽化しています。後半では減7和音で何度も立ち止まり、ヨロヨロと歩む表現に息を飲みます。

続く合唱曲は前の世代の影響を残す、若いバッハの古めかしい様式の音楽です。歌詞内容によって曲想やテンポが変化するところ、オーケストラが合唱に対して合いの手を入れながら進むところなどに17世紀のスタイルが残っています。彼はまもなくヴィヴァルディなどのコンチェルトのスタイルを知ると、この古いオーケストレーションのスタイルをやめてしまいます。この曲はその最後の名残を留めていると言えるでしょう。この曲の冒頭の「Ich,Ich,Ich」という短い言葉の繰り返しは「無意味」と、ヨハン・マッテゾンは著書の中で批判しました。彼はハンブルクでこれを聴いたようですが、マッテゾンのような高名な音楽家がこの曲を知っていたことは、これがバッハのカンタータとしては珍しく、少しは世間に知られていた可能性を感じさせます。

第3曲のソプラノ・アリアでは冒頭シンフォニアの気分が戻るかのように、ソプラノソロにオーボエが悲痛な声を添えます。この曲でもやはり減7和音で立ち止まるところがあらわれます。

5曲テノール・アリアはストリングスによる執拗な2度下降音型が強い印象を与えます。

止めどなく流れる涙を示すフィグーラなのでしょう。中間部では「verschren(打ち砕く)」の語に激しく上下するメリスマが当てられます。このように終始バロック的レトリックに染め抜かれたアリアです。

第6曲の合唱も古いモテットのスタイルを留めています。すなわち、歌詞を細かく区切って、次々に曲想が変化するやり方です。途中で「神を待ち望め」という風に気持ちが前向きになり始め、神への感謝を述べるフーガによって第1部を締めくくります。

第2部に入るとEs-durの和音が明るく響き、信者の魂(ソプラノ)とイエス(バス)の対話になります。続く第8曲のデュエットも魂とイエスの対話であり、BWV140のカンタータのものと同じく、定番の「愛の二重唱」です。魂「そうです(ja)、あなたは私をお嫌いなのです!」イエス「いいえ(nein)、私はあなたを愛しています」というような甘い対話がウキウキとした明るい音楽に乗って進みます。中間部は珍しく拍子が変わり(3/8)、快活な舞曲になります。

第9曲はコラール合唱曲で、3声によるカノン風のやりとりの間をテノール声部がコラールを歌います。コラールはゲオルグ・ノイマルクの「Wer nur den lieben Gott läßt walten」の第2・5節を使っています。2コーラス目でコラール旋律がソプラノに移り、コラパルテの器楽が加わります。

第10曲のテノール・アリアでは悩みは完全に吹き飛んでしまい、晴れやかな気分で踊っているような歌です。カデンツのところのヘミオラのリズムがまるでスキップしているように聴こえます。

最終合唱は黙示録からの「屠られた子羊は、力と富と知恵と威力と名誉と栄光と賛美を受けるのにふさわしい」の文言を歌います。これはヘンデルのメサイア第53曲と同じ歌詞ですが、ゆっくりした力強い序の部分を両曲とも持っていて、互いの曲を彷彿させます。バッハはこれをヘンデルの故郷ハレでも演奏し、ヘンデルの親友マッテゾンもこれを聴いたことを考えると、もしかしてヘンデルもこの曲を知っていただろうか?なんて考えてしまいます(メサイアの方がずっと後に作られました) 。主部はアレグロとなり、フーガが展開します。BWV71「神はわが王なり」のようなミュールハウゼン時代の楽曲では各楽器群と合唱群が小グループを作ってそれぞれの小さなモチーフを掛け合いながら楽曲を展開させていますが、ここでは楽器群と合唱群が同じフーガ主題を交差させながらダイナミックに展開していて、その書法の変化をはっきり見ることが出来ます。この曲はバッハが初期様式を脱して円熟した様式に足を踏み入れる瞬間を刻んでいます。

 

バロック音楽における強弱法

バロック音楽では必要最低限の情報しか譜面に書かないのは、「そんな事、書かなくたってわかるだろ!」というノリでやっていたのでして、出来るだけ省略して簡単な譜面作りをやっていたのです。極端な例はブランデンブルク・コンチェルト第3番の第2楽章のようにたった2つの和音しか書いてないというのもあります。これは2つの和音の間で全く自由にアドリブで演奏しろ、という究極の省略譜面です。ジャズで使うコードネームしか書いてない譜面を思わせます。ジャズの場合と同じく、基本的に自分と仲間で演奏する、というのが譜面を簡単にしている理由の一つでしょう。だから「書いてある事」だけを忠実に演奏するというのは間違えも甚だしく、ありうる様々な表現法を演奏家自身が付け加えなければならないし、それこそ演奏家の腕の見せどころです。こんなことは古今の世界中の音楽ではむしろ当たり前の事で、20世紀以降の一部の”西洋音楽の伝統継承家”だけが異常なまでに書かれた楽譜に従うことを重視していたのです。今回はバロック音楽でも当然行われていた強弱の様々な表現法について調べた事を書きます。昔の文献が示す、昔の常識です。

譜面に書かれている強弱

バロック音楽では、特に静かに曲を始めたいとか、特別の希望がなければ強弱の記号なんて書きません。こんな事は実は当たり前で、皆さんはカラオケで「函館の女」を歌う時、「フォルテで始めるのかメゾピアノで始めるのか?」なんて悩みますか?「♪は~るばる来たぜ」と景気よく歌い始める始めるもんですよね。なお曲中で弱くしたいときは勿論「p」を書き、またもとに戻るときは「f」を書きますが、必要最低限にしか書いてありません。

繰り返しにおける強弱

同じフレーズを繰り返す時にダイナミックスの変化をつけるのが慣習的に行われます。普通は繰り返しを弱く演奏します。このヴィヴァルディの「四季」の春の最初のところでは繰り返しの所にpianoと書かれています。こういう風なケースでは何も書いてなくても強弱をつけて然るべきと考えます。

またもっと短いフレーズの繰り返しではエコーのような効果として強弱をつけたりします。

クレッシェンド、ディミニュエンド

今から30~40年前くらいには「バロック音楽の強弱法はテラス式(階段みたいに段々にやる)だ」と言われてました。楽譜にクレッシェンドやディミニュエンドが書かれてなかったので、そう思い込んだバカの意見が席巻してたみたいです。その人達は音楽が分かってないばかりか、単なる勉強不足だったことが後に明らかになりました。なにしろカッチーニが1602年に出版した有名な「新音楽」という書物に「声のクレッシェンド=デクレッシェンド、エクスクラマツィオーネ、トリロ、グルッポ、要するにこの技法のすべての宝をそこで用いるべきか…(栗栖由美子氏「バロック初期の歌唱法に関する研究」より)」と書いているんですから。またジェミニアーニは1751年の「ヴァイオリン奏法」に以下のような記号を用いています。この記号は「音を膨らませる」という意味です。

またジョバンニ・アントニオ・ピアーニの1712年出版のヴァイオリン・ソナタには以下のような、ひと目でどう演奏するか分かる記号が書かれています。

さて、では何も書かれていない場合、どんな場面でクレッシェンドやディミニュエンドを用いたらよいかというと、よく行われるのは上昇音型ではクレッシェンド、下降音型ではディミニュエンドというやつですね。

次のものはヘンデルのコンチェルト・グロッソ、ニ長調op6,No5の3曲目の一節で青い所は下降、赤い所は上昇でディミニュエンド、クレッシェンドを行っています。

もう少し長いフレーズでの例を聴いて見て下さい。これはヴィヴァルディの四季の「冬」第3楽章の終わりのあたりです。青い所では低音を中心に次第に下降して行くのに合わせてディミニュエンド、次の赤色の小節で上昇とともにクレッシェンドしているのがよく分かると思います。

メッサ・ディ・ヴォーチェ(Messa di voce)

これは、ロングトーンにおいて最初を弱く、次第にクレッシェンドしてその後ディミニュエンドする、という演奏法で、バロック時代に行われたとても繊細で美しい効果のある技法です。ところがその後、すっかり忘れられてしまい、YouTubeにある動画で指揮者のリチャード・ボニングがパヴァロッティに「メッサ・ディ・ヴォーチェってどういうもの?」って訊いて、パヴァロッティが「mezza voce?」って訊き返してサザーランドに「ちがうちがう!」ってたしなめられているのがあるんですが、20世紀のオペラ歌手が全く知らなくなってしまったのは、いつからか歌手はロングトーンをヴィブラートべったりで朗々と歌うようになってしまったからだと思います。器楽奏者も同様で、最初から最後まで均一な音量でヴィブラートを大いに効かすロングトーンが当たり前になってしまいました。このメッサ・ディ・ヴォーチェについて書かれた資料はあまりないようなのですが、前に挙げたピアーニの楽譜にある「真ん中がふくらんでいる」記号はまさにメッサ・ディ・ヴォーチェを示しているのだと思います。

おなじみ「オンブラ・マイ・フ」の歌の出だしの所はまさにメッサ・ディ・ヴォーチェを使うのにピッタリです。この曲に限らず、このようなロングトーンで歌い始める曲のパターンがあり、19世紀の有名な歌劇「ノルマ」のCasta diva”の出だしもメッサ・ディ・ヴォーチェにピッタリなはずです。

エクスクラマツィオーネ

アッフェット(情緒)を盛り込む表現法としてカッチーニが推奨しているのがこのエクスクラマツィオーネですが、使うケースは限られていると言えます。カッチーニによるとすなわち「付点を持つ2分音符でデクレッシェンドしながら歌い始め、下降する4分音符でほんの少し余計に息を使ってクレッシェンドする(栗栖氏同論文より)」というものです。

これの実例を探すのは難しいです。”アマリッリ”においても誰もこれを用いていないのは、殆どの歌手がエクスクラマツィオーネというのを知らないからだと思われます。皆さんが”アマリッリ”を歌う際には是非これを取り入れてみて下さい!

和声法における強弱法

西洋音楽最大最強の特徴というのは機能和声法というのを編み出したことだと思います。和声の流れが「動き」を作り、それによって音によるストーリーを生み出すことが出来るようになりました。この根本にカデンツがありますが、ここでも動きを作るためにそれぞれの和音に明暗の色彩をつけると、その効果は大きいものになります。基本的にその曲の基調に属する和音ーおもに主和音や下属和音ーは弱く奏し、基調に属さない和音ー基本的に臨時記号のついたような音ーは強く奏す、不協和音は特に強調する、ということが行われます。

ドミナント~トニックの例(ドミナントが不協和音であるのでf、トニックはp)

C.P.E.バッハによると「不協和音は概してより強く、協和音はより弱く奏される、と言うことができる。前者は力強く情熱を高め、後者はそれを鎮めるからである。」(C.P.E.バッハによる例1)

「強烈なアフェクトを呼び起こすべき楽想の特別な高揚は、強く表現されなければいけない。そこでいわゆる偽終止は、それが用いられた理由のためにも普通はフォルテで奏される」(C.P.E.バッハによる例2)

このような和声による強弱の色付けを知っておくと、演奏に表情をつけるのにとても役立ちます。バロック音楽に限らず、調性音楽においては和音のもつ意味とその表現法の基本と心得るべし!

通奏低音を演奏するさいにも、このことは重要です。次の例はマタイ受難曲の中の一節「イエスは祭司長と長老から告発を受けたが何も答えなかった。ピラトは彼に言った。”聞こえないのか?この者たちの文句が!”イエスは一言も答えなかった。総督はこれを不思議に思った。」という下りです。フォルテの所とピアノの所に注目して下さい。このルネ・ヤーコプスの演奏では強弱を強調するために、ピラトのセリフの減7和音その他の不協和音の所でオルガンのストップを開けて迫力を出しています。

このように、バロック音楽でも様々に強弱の変化が行われる、という事がお分かり頂けたと思います。ここに記したのは強弱法の手がかりとなる例でした。ところで、これらのやり方は”ルール”ではなく、メロディーや和声、楽曲形式などから自然と導き出されるものである、という事を忘れてはいけません。同じような場面で、全く違うやり方だって大いにあり得るのです。C.P.E.バッハは「ピアノまたはフォルテになるのはどこかをいちいち規定するのは、おそらく不可能なことであろう。どんなにすぐれた規則にも、それと同じほど多くの例外があるからである。明暗ともいうべきこの特別な効果は、楽想なり、楽想どうしの結合関係いかんによって、、いや大きく言って作曲家いかんによっても変わるのである。作曲家は…同じ楽想でも、あるときはフォルテにあるときはピアノに出来るからである」(「正しいクラヴィーア奏法」東川清一訳)と言っています。音楽の世界にドグマなんてないし、そんなものを振りがざす奴がいたら「バ~カ」と言ってやりましょう。そして自由に強弱法の効果を楽しみましょう。

 

 

 

 

ソナタ楽曲の作り方(おまけ付き)(おまけその2付き!)

    皆さん、突然のお客さまのとき、ソナタ楽曲の手持ちがなかったら困りますよね?何時エステルハージ公爵とお近づきにならないとも限りません。そんな時に簡単にソナタ楽曲を作れるレシピをお教えしましょう。ソナタ楽曲を作れるだけでなく、ソナタ楽曲を鑑賞するのに役立つことこの上ありません。

ソナタ形式というのは2つの主題を持っている楽曲なのですが、もっと重要な要素は楽曲を展開する上での和声展開のプランにあるのです。まず第1主題が主調(トニック)で出て、第2主題が属調(ドミナント)で出るという主題提示部があり、次に展開部が置かれそれまでに出た主題を中心に展開します。展開部の最後のところで主調を導き出して再現部になります。第1主題が再び出て移行部で今度は第2主題を主調(トニック)で出して楽曲を終わらせます。こういう和声展開がソナタ形式なのです。

さてここで楽曲によってこの形式を説明します。主題は「炭坑節」を使います。アンタはそこまで炭坑節が好きなのか?と言われそうですが、そうではなく単にまったくソナタ形式に向いてなさそうな間抜けなメロディーである事と、著作権の問題がないという事によって選んだだけです。こんな間抜けなメロディーでもソナタ楽曲になる、というのが聴きどころです。

主題提示部

まず第1主題が主調(ここではC-Dur)で出ます。

 次に第2主題を出すための移行部になります。第2主題は古典派では普通、属調(ここではG-Dur)で出ますので、ここはG-Durに自然に移行するためにG-Durのカデンツ(D7~Gという動き)が組み込まれています。

第2主題が出ます。主調のままで出ず属調に転調するのは、単調さを避け、楽曲にダイナミックな立体感を与えるためです。これぞソナタ形式のキモの部分で、バロック音楽にはなかったスタイルです。そのまま属調で前半部を終止させて、頭に戻ります。バロックの舞曲はソナタ形式に似た2部形式ですが、転調した2つ目の主題はありませんのであっさりとした小さな曲になっています。転調した2つ目の主題の存在が曲の規模を大きくします。

展開部

提示部を繰り返したあとは展開部に入ります。ここは普通、和声がコロコロ変わって不安定に進行するものです。さまよい歩くように進行してこそ主題の再現が目立つというものです。今まで出てきた主題や移行部のフレーズを利用したり、新しいフレーズを出したりして、ここの長さは曲によって様々です。ブルックナーやマーラーはとても長くなりますが、ここでは最低限の短さにしました。

再現部

第1主題が戻ってきます。古典派ではそっくりそのまま再現しますがロマン派以降は形を変えて戻ることもあります。でも同じ調で戻るのは鉄則です。

第2主題への移行部は、提示部では属調へのプロセスでしたが、再現部では主調へのプロセスという風に変わります。

第2主題が今度は主調で出ます。これは楽曲を主調で終わらせるためですが、むしろ提示部を無理やり属調で終わらせるというのがソナタ形式の特徴なんですね。

では実際に聴いてください。古典派のシンフォニー風のスペシャルアレンジです。トランペットとティンパニが提示部と再現部のそれぞれ最初と最後のところにアクセント的に出る所に注目!なぜならば古典派当時のトランペットとティンパニは基本的にドとソしか出しません(出ません)でしたので、提示部ではドで始まりソで終わり、再現部ではドで始まりドで終わるということになってるからです。この不自由さはむしろ古典派のソナタ形式に非常に合致しています。

おまけ <12音技法による演歌>

今回はおバカ記事として作ったつもりだったんですが、結構まじめな感じになってしまっているので、おまけで凄くくだらないものを載せます。20世紀初頭において、従来からの和声法を基にした音楽の作り方はやり尽くされたと感じていたアルノルト・シェーンベルクはただ無調にするだけでなく、絶対に調性的ならない確固たる作曲技法として12音技法というのを編み出しました。シェーンベルクは「これで西洋音楽は100年持ちこたえられる」と言ったそうで12音技法が従来の調性音楽に取って代わって人々の間に広がると思っていました。

結局どう考えてもそうならなかったんですが、12音技法がどんな音楽にも応用出来るとすると、これで演歌をつくったらどんな風になるだろう?とずっと考えていました。なぜならば演歌ほど12音音楽とかけ離れたものも無いにもかかわらず、演歌というのは伴奏の形態などが非常に型にはまっていて、ほとんど陳腐なまでにガチガチのスタイルをもっているので、ここに12音技法をブッ込んだらどうなるだろう、と常々思っていたんです。いまこそ実行してみます。

その前に12音技法のすごく簡単な説明をします。12音技法自体がすごく単純な原理をもっています。オクターブの12個の音をいくつかのルールに従いながら自由に並べて1つの音列を作ります。そしてこの音列の順番通りに音を出して行く、というだけなんです。ただし順番に沿っていさえすれば、いくつかの音を同時に和音としてもよし、2声や3声のポリフォニーとして処理してもいいらしいです。また1つの音列だけでなく複数の音列を使うことも出来ます。よくやる方法は、最初に考えたのを基本音列としておのおのの音同士の音程関係を上下反転させて作る「反行形」、前後関係を逆転させる「逆行形」、反行形を逆行させる「反行逆行形」、といった基本音列のヴァリエーションを使うやり方です。

これからお聴き頂く演歌楽曲は以下の4つの音列によって作られています。メロディーは常に音列の順に沿っています。

それでは世界初の12音技法による演歌「12音の女(ひと)」をどうぞ。何処かで聴いたことあるような曲ですが、それはきっと気のせいです。

おまけその2!!

もっと臭いド演歌を12音でやったらどうなるのか、どうしても聴いてみたかったので、もう1曲作ってみました。これを聴いてみたいというのは僕の長年の念願だったのです。今度はシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲OP.31」で使ってる音列を使用しました。音楽のシュールレアリズムといった感じのものになったと思います。では歴史上最後に作られた12音音楽となるに違いない演歌「維納音列しぐれ」をお聴き下さい。

 

 

スタッカートやアクセント記号のなぞ

このネタは団長氏から教えてもらった文献を元に膨らませたものです。譜面でよく見る記号なんですが、結構問題のあるものなんです。

スタッカート

スタッカートは「音を短く切る」という意味で、一般的な楽典によると記号の種類は以下の2つあります

1個目の点のものは「音を短く切って」。2個目のクサビ型のものはスタッカーティッシモと呼び、音を短めに切って。スタッカートよりは短く。」というふうに書いてありますが…

昔の作曲家はどう考えていたのか?

C.P.E.バッハの「正しいクラヴィーア奏法」には

「スタッカートにされるべき音符は、その上に短線または点をつけて示す。本書では点を用いたがそれは短線では数字と混同されやすいからである」

と書いてありますが、いきなり「短線」というのが出てきました。これは現在の楽典にないものですが、ここでは点と同じものと言ってるから気にしないでいいか?いやそうは行きません。L・モーツァルトの「ヴァイオリン奏法」には

「作曲者は1つ1つの音をはっきりと強いアクセントのついた弓で弾いてほしいと思うとき、しばしば音符の上に小さな棒をつけます。」

これはさっきの短線と同じじゃないですか!しかも「アクセントをつける」とさえ書いていますね。この「棒」は点とは違うのだということを示す例を見てください。

これはW.A.モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」の一節です。はっきり使い分けているように見えますよね。上の段はスタッカート、下の段は強いアクセントとつける感じというのでOKみたいです。なにしろL・モーツァルトの息子なんですから。でも問題はこれでは終わり切ってません。次の交響曲第41番「ジュピター」の一節の出版譜を見てください。

一番上のパートにはクサビ型の記号がついてます。この譜面は新モーツァルト全集(1957年刊)のものです。楽典に従うならスタッカーティッシモということになるんですが、そうではなさそうです。「ジュピター」の自筆譜を見ることが出来ないので確かめられませんが、フレーズから考えても「プラハ」と同じようにクサビ型でなく棒で書かれているはずです。これをスタッカーティッシモで演奏するなんて考えられません。ところでモーツァルトは自筆ではどんなふうに書き分けているんしょうか?やはり「プラハ」第1楽章の一節を自筆譜と新モーツァルト全集版を比較してみましょう。

これどうなんでしょう?自筆譜は全部点にも見えますよね?ほかの所もみんなこんな感じで微妙なのです。レクイエムの最初の所の弦は

こんな感じで点みたいだったり棒みたいだったりしていますが、全集版ではめんどくさいからなのか全部棒にしてしまっています。なんとなく結論すると、まず棒はL・モーツァルトが言うようにアクセント的に扱うべきで、これをクサビ型にしてしまうと誤解を招きやすい、という事のようです。じゃあ楽典の言うクサビ型=スタッカーティッシモの根拠は何なんでしょうね?それに後年の出版社は棒とクサビ型を混同して使っているようにも思われます。この辺、気をつけなければいけません。

アクセント

アクセント記号は「それが付けられた音を強く」という意味をもっていて、楽典で以下3つの記号がのってます。

2つ目と3つ目の記号は1つ目より強い、という説明があります。この説明は正しいのか?

まず1つ目の普通のアクセント記号なんですが、このHairpinアクセントが初めて現れたのは1760年代という記事をネット(www.dolmetsch.com)で見つけました。次第に使われるようになっていったものの、18世紀末~19世紀初期まではまだこれを使わず、スフォルツァンドやフォルテの記号を使う人も多かった、とあります。たしかにモーツァルトには見られず、ベートーヴェンはもっぱらスフォルツァンドやフォルテを使って同じ事を意味させようとしています。

ところでこのベートーヴェンのHairpinアクセントの使用例を探して何気なく弦楽四重奏曲のラズモフスキー第1番の第2楽章を見ていたら、冒頭主題にアクセントが付いているのを発見しました。左が自筆譜で右が出版譜です。

ところが少し進んだ所に同じ形のフレーズが出てくるところがあり、そこでは出版譜ではデクレッシェンドになっているのです。

ベートーヴェンの書き方は同じとしか思えません。これは変ですよ。この事は有名な「シューベルトのアクセント問題」を思い起こさせます。ちょっと脱線しますがシューベルトの書いた記号がアクセントか?デクレッシェンドか?よくわからないという議論があるんです。下図はシューベルトの交響曲第9?番「グレイト」の第4楽章の最終音の自筆譜です。

アクセントにしちゃ長すぎますよね?でもこれをアクセントとして演奏したり、出版までしちゃったりしているようです。これを見ると上のベートーヴェンの譜面もやっぱりデクレッシェンドなんじゃないかという気がしてきます。

さて2つ目の山形の記号は、ネット記事(www.dolmetsch.com)によると、「caretあるいはle petit chapeauと呼ばれ、18世紀から19世紀にわたって、expressive stress(表現に富む強調)のために用いられた。スフォルツァンドよりは弱い。19世紀には>と同義か、あるいはそれより重いものと捉えられていた。」とあります。ここで団長氏に見せてもらった佐伯茂樹著「木管楽器演奏の新理論」の該当箇所では「音を強調して強くするだけでなく、時には弱くして目立たせるという発想もあったようだ。」

またこうも書いてあります。「ドイツやフランスの(管楽器)奏者たちは、重くという意味、と言ったが、アメリカとカナダの奏者たちは、山形アクセントは音の語尾で舌を止めるという意味だ、と言った。」この「語尾で舌を止める」というのはいかにも管楽器特有のニュアンスですが、非常に納得の行く表現だなあと思いました。

このように考えると下譜のような管楽器のフレーズに付いている山形の記号の正しい意味合いがよく分かります。音を伸ばしてスパッと切る、という感じで管楽器にこそもっとも効果的なんだなあ、と思います。(下譜:ベルリオーズ「幻想交響曲第4楽章」のオフィクレイドによる”ディエス・イレ”のフレーズ)

3つ目の山形を逆さにした記号は、山形と同じだそうです。でもブレス記号や弦楽器の上げ弓の記号と同じなのであまり使われないのだと思います。

ミサ曲ロ短調の解説

ミサ曲ロ短調について最新の研究成果なんかも参照しつつ、調べたことなどを羅列してみようと思います。

ミサ曲というもの

これはキリスト教会が礼拝に用いる「ミサ通常文」に音楽をつけたものです。「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5部分で出来ています。中世初期に作られたらしいこの文言は歌われるべきもので、当初からずっと長い間いわゆるグレゴリア聖歌のスタイルで歌われて来ました。音楽の流行が変化すると、時代とともにミサに付けられる音楽も変化していったのです。バッハの属していた教会でもミサ曲は使われていました。ただし通常「キリエ」「グローリア」だけが使われていたようです。特別な礼拝では「サンクトゥス」も使われたようです。

バッハのミサ曲

バッハのミサ通常文への作曲も、元々「キリエ」「グローリア」「サンクトゥス」だけだったのです。また他人の作ったキリエ・グローリアミサ曲のバッハによるコピー譜もいくつか残っていて、礼拝でそれらが必要だったのだという事がわかります。しかしバッハの書いた(作曲したとは限らない)大部分のミサ曲は何時、何処で演奏されたか明らかでありません。

ミサ曲ロ短調の「キリエ」と「グローリア」は作曲の経緯が分かっています。1733年にドレスデンのアウグスト2世の哀悼とアウグスト3世の即位祝賀のために書かれ、演奏に供するためにパート譜の形で贈られました。ドレスデンの選帝侯はカトリックに改宗していたので、ミサ曲を献呈するのがベストチョイスだったわけです。この作品には「ザクセン宮廷作曲家」の称号を希望する文言やドレスデンでの就職を希望するような文言の入った手紙も添えられていました。バッハのミサ曲にはルター派教会での実用とともにカトリック教会での利用も考えられている、という2面性が元々あったように思われます。それから10数年経って、このドレスデン・ミサ曲”を拡張して完全なミサ曲にする事を思い立ったのか、続く楽章の製作を開始しました。バッハの最晩年1748~49年にまとめられたスコアは「Missa」「Symbolum Nicenum」「Sanctus」「Osanna Benedictus Agnus Dei et Dona nobis pacem」の4冊に分かれていて、1から4まで通し番号が振られています。「Missa」はドレスデン・ミサ曲”そのものであり、「Sanctus」は1724年のクリスマス用に書かれた曲でした。それ以外の部分はおおむね以前に書かれたカンタータの音楽の転用であり、若干の曲が新たに作曲されました。転用された曲も大幅に手を加えられていて、ミサ曲の中で位置を得るために周到な編集がなされています。結果的に非常に大規模な作品になり、全曲を実際の礼拝に使用するのは不可能のように思われていますが、ニ長調で全体が統一され、クライマックスに向けて声部が6声、8声と増えて行き、前半の「Gratias agimus tibi」の音楽が終曲「Dona nobis pacem」で繰り返されるという、全体の構造的な配慮も行き届いており、バッハが巨大な作品を目論んでいたことは明白です。

晩年のバッハは、あるジャンルの音楽を記念碑的、集大成的な大作に仕上げて出版する、ということに執着していたように思われます。1739年には「ドイツ・オルガン・ミサ」の通称で知られるオルガン音楽の大作を出版し、続いて1741年にあの「ゴルトベルク変奏曲」、そして未完に終わったフーガ音楽の金字塔「フーガの技法」が作られて行きました。この他にも「音楽の捧げもの」「”高き天より我来たりて”によるカノン変奏曲」といった作曲技法の精緻を極めた作品をまとめ、それらの作品をすべて出版しています。ミサ曲ロ短調はバッハが満を持して放つ教会音楽の金字塔と考えてよいのではないでしょうか。事実その通りになっています。バッハはこの作品を出版したかったかもしれません。

楽曲解説

キリエ

キリエは3曲で出来ています。

1Kyrie eleison

4小節のイントロダクションが大作の開始を重々しく告げます。このキリエ自体が大作であり、フーガでありながら2部形式をとっていて、前半は属調の並行短調の嬰ヘ短調に至るカデンツァで一区切りするという、ソナタ形式に接近したスタイルを持っています。これはバッハ後期のスタイルが当時の時代の空気と無関係では無かったことを示しています。

フーガ主題は半音階的にジグザグに進行するメロディーで、”The Wedge”(楔)というニックネームを持つオルガン用のフーガホ短調BWV548の主題と同じアイデアなので、これも「楔主題」と呼べるでしょう。

 BWV548フーガ主題

フーガ終結部に至るクライマックスではこの楔主題がソナタ形式で行われるみたいに変容して、半音階的な強烈な和声進行を生み出す所は、まさにバッハならではの趣があります。なおこの曲とJohann Hugo von Wildererのミサ曲ト短調との共通点が指摘されています。それは①ゆったりしたイントロが付いている。②フーガ主題の最初から5つ目の音までが全く同じ。という点です。バッハはWildererのアイデアを使ったのかもしれませんが、結局両曲は全く違った相貌になっています。

 Wildererのミサ曲ト短調冒頭部

2 Christe eleison

ソプラノ1とソプラノ2のデュエットにヴァイオリンのリトルネッロが絡むという構成です。通奏低音を加えた4声のポリフォニックな対話の面白い楽曲ですが、リトルネッロの最初の3つ目の音がいきなり和声上の属7の音でミクソリディア旋法を思わせ、どこかアルカイックな落ち着きを湛えた音楽です。

3 Kyrie eleison

シンフォニックな趣のある第1キリエに対して、この第2キリエは古風な声楽ポリフォニーの手法をとっています。わずか短2度で上下する主題は、いわゆる十字架の形をしています(下図参照)。

グローリア

グローリアは、渋くシリアスなキリエと対照的に極めて華やかで活動的な音楽に満ちています。編成も大きく、構成も変化に富んでいます。

4 Gloria~Et in terra pax

トランペットが輝かしく響きわたるグローリア冒頭にはバッハはパート譜に”Vivace(活発に)”記しています。3拍子の華やかな音楽は滑り込むように4拍子の沈んだ音調に変化します。うねるように上下するメロディー(フーガ主題の断片)が現れ、ホ短調に転ずるとE音のバスのオルゲルプンクト上を霧の中を彷徨うように進み、木管とヴァイオリンがこんどはD音の高いオルゲルプンクトを奏でる中からソプラノ1の美しいフーガ主題があたかも霧が晴れて光が差し込むように現れます。そしてフーガの進行に従ってオーケストラが次第に力を増して行き、壮大なクライマックスを築き上げます。

5 Laudamus te

ソプラノ2によるアリアですが、ソロヴァイオリンが活躍してコンチェルトのような華やかさがあります。ここでは当時(1730年代以降)流行のギャラント様式を大いに取り入れています。ギャラント様式というのは簡単に言えば音楽のロココ様式です。歌とヴァイオリンの繰り出す華麗なOrnament(装飾音)がいかにもロココな雰囲気です。

6 Gratias

1731年作のカンタータ29番の第2曲のパロディーです。元の歌詞は「我らはあなたに感謝します、神よ」というものでミサの歌詞とほぼ同じです。前の曲からは200年ほどさかのぼる感じの古い合唱音楽のスタイルで進行しますが、途中からトランペットが第5、第6の声部として加わって壮大なクライマックスを作りだす様はルネサンス音楽とは一線を画するものです。

7 Domine deus

ソプラノ1とテノールのデュエット、フルートと弦楽の伴奏が付きます。弦には弱音器を要求し、低音はピチカートなので繊細で優しい音楽です。最後の一節「Domine deus, agnus dei」に入るとホ短調に転じて次の曲にそのままなだれ込みます。

8 Qui tollis

ロ短調に戻ってLentoの指示。1723年作のカンタータ46番「心して見よ、我を襲うこの痛みを」の冒頭合唱の前半部分をアレンジして使用しています。原曲はニ短調でリコーダーを使っています。ロ短調に変えると共にフラウト・トラヴェルソに置き換えられました。合唱の各声部がカノン風に進む中、2本のフルートが印象的なオブリガートを吹き交わします。重苦しい和声進行が全体を支配します。古典和声法では減7和音は属7和音の代理として使われるのですぐにトニックに解決されるものですが、バッハはしばしば減7和音に減7和音を連結して用います。この曲でも第4小節目から3つ連続して減和音が続きます(dim-ディミニッシュ=減7和音)。

このような苛烈な響きに、我々が負っている「世の罪」を象徴させているのかもしれません。

9 Qui sedes

オーボエ・ダモーレのソロとアルトの組み合わせのアリアです。同じような音域の楽器と声を取り合わせるのはバッハ・シェフのスペシャリテと言えます。この曲はワルツのようなリズムで、思わせぶりなブレイクがいっぱいあり、軽やかで洒落た雰囲気を持っています。

10 Quoniam

コルノ・ダ・カッチャと2本のファゴットの伴奏というとても独創的なサウンドを持ったバスアリアです。ドレスデンでは「5人以上のファゴット奏者を自慢していた」そうで、またPeter Dammによると、これはドレスデンのJohann Adam Schindlerというホルン奏者を想定して書かれたそうです。この風変わりな編成と超絶難しいホルンパートを思えば、このような事情がありそうに思えます。

11 Cum Sancto

前の曲から続けて演奏されます。コンチェルト・グロッソのスタイルを持ってきて、合唱をコンチェルティーノとして扱っているような趣があります。コンチェルトのスタイルの中にフーガを自由自在にはめ込む手腕はバッハならではの見事なもので、ドレスデン・ミサ曲を締めくくる力作です。オーケストラがせわしなく動きまくる中、ロングトーンの和声(ここではコーラス)が相対するというのはベートーヴェンやロマン派音楽(特にワーグナーやブルックナー)を想起させる手法です(下譜)。ここでも減和音がダイナミックに炸裂してます。

ニカイア信条

ニカイア信条(Credo)は、バッハが最晩年になって組み立てられた楽章であり、まさにこの大ミサ曲の焦点というべきバッハの野心が込められた部分です。全9曲からなる全体はシンメトリーになるように構成されています。中心部に”Crucifixus”(十字架につけられ)が置かれ、両端の楽章にグレゴリオ聖歌が引用されるというものです。バッハの作にニカイア信条はこれの他に見当たらないので、この作はバッハにとっても異色で、大ミサを構成するために、その中心部として特に緻密に計画されているのが分かります。

12 Credo in unum deum

ルネサンス音楽的な趣のフーガの主題はまさにグレゴリオ聖歌から引用したものです(ただし少し変形しています。原曲下譜参照)。

バッハがカトリックの伝統的なポリフォニー音楽を意識しているのは明らかです。この曲に限らず、晩年のバッハは、彼の時代より100年以上遡る黄金時代のポリフォニーの技法に大きな関心を向けていました(フーガの技法など)。この曲は4/2拍子で、15~16世紀に行われていた白譜定量記譜法で書かれているのを見ても、彼のこだわりが表れています。ただし通奏低音は力強いWalking Bassというべきもので、歴然としたバロック音楽のノリを与えています。

13 Patrem omnipotentem

前曲がイ長調で終わっていて、本曲はニ長調の曲なのに最初はイ長調で始まります。これはカンタータ171番「神よ、汝の誉れはその御名のごとく」の冒頭合唱をアレンジしたもので、出だしのイ長調による6小節は新たに加えられたものです。ニ長調になってテノールに出るフーガ主題が元の曲の冒頭部分で、そのあと4声のフーガが進行しますが、トランペットが5声目として登場して妙技を繰り広げます。トランペットの大活躍するミサ曲ロ短調の中でも白眉といえる場面です。

14 Et in unum dominum

オーケストラの前奏でカノン風に扱われる主題をソプラノ1とアルトがそのまま引き継ぎ、カノン風に進行するデュエットです。このカノン的展開を、父なる神と子なるキリストの同一の神性を表す、とか言われることがありますが、この曲が世俗カンタータ213番の11曲「私はあなたのもの」の原曲とルーツを同じくする改変曲だとするとその説はあてになりません。しかしながらここでの歌詞内容はまさしくキリストの神性について語るものであります。流麗なポリフォニーが楽曲に品格を与えています。

15 Et incarnatus est

この部分はバッハの絶筆とも言われています。ニカイア信条のシンメトリーをより完璧にするアイデアを、楽章が一旦出来上がった後で思いついたためにこの曲を最後に挿入したからだそうです。

第2Kyrieにも出てきた「十字を切る」フレーズをヴァイオリンが執拗に繰り返します(下譜)。

「精霊によって処女マリアから御身体を受け」という文言ですが、「受体=受難」ということを表現するがごとき悲劇性に満ちています。

16 Crucifixus

この楽章の中心に置かれた曲はまさしくイエスの受難を表現するものです。ラメント・モティーフ(半音階で下がっていくメロディー)をバッソ・オスティナートにしたパッサカリアです。バロック時代に愛好された書法で、様々な作曲家が用いています。この曲は1714年のカンタータ12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」の第2曲から転用したもので、バッハは若き日に書いた傑作をここに持ってきたわけです。

原曲との大きな変更点は、通奏低音のリズムを細かく刻ませるようにした事です。

カンタータ12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」 Crucifixus

こういう変更には大きな意味があるはずです。皆さんもその意味を考えて見て下さい。バッソ・オスティナートは13回繰り返されますが、最後は変形してト長調で終わります。

17 Et resurrexit

「三日目に蘇り、」。前奏なしでいきなりトゥッティでファンファーレのような音形を轟かせて始まります。ポロネーズのリズムという指摘がありますが、たしかに典型的なポロネーズの形です。

ショパン 軍隊ポロネーズ

Et resurrexit

失われたコンチェルトをアレンジしたものという説があるように、オーケストラだけで演奏しても問題ないくらいオーケストラの比重が大きい曲で、大きな間奏と後奏があります。3部形式の中間部の終わりにバスパートの長めのソロ(ソリ?)があるのがとても珍しいです。原曲?では楽器のソロがあてがわれていたかもしれません。

18 Et in spiritum sanctum

バス・アリア。2本のオーボエ・ダモーレのオブリガートが付きます。イエス・キリストについての叙述が終わり、ここでは精霊と使徒による教会について語られます。しかし曲はパストラーレ風の、長閑な優しい雰囲気です。クリスマス・オラトリオのシンフォニア(パストラーレ)でもダモーレの音色が印象的に使われています。

19 Confiteor

この曲と次の曲は連続しています。Confiteorは冒頭のCredoに対応しており、やはりカトリックの伝統的ポリフォニー音楽のスタイルを意識した作りになっています。とくにこの曲は技巧を尽くしており、声楽版の「フーガの技法」の趣があります。最初に”Confiteor”の主題がいきなりストレッタの形で出てすぐに句読点を打ち、改めて”in remissionem”の主題を嬰ヘ短調ーロ長調ーホ長調ーイ長調ーニ長調というめくるめく非常に型破りに出して行きますが、この主題提示部は聴いていても調性感をつかみにくく浮遊感のある所です。こういう所はバッハ晩年のポリフォニーの真骨頂とも言えます。この2つの主題はすぐに一緒になって2重フーガの様相を示し、やがて2つの主題が縦横無尽に展開する真っ只中にグレゴリオ聖歌が何とバスとアルトのカノンで現れるのです。バッハのポリフォニーの魔法に頭がクラクラさせられます。続いてテノールに2倍に引き伸ばされたグレゴリオ聖歌が、如何にもカントゥス・フィルムス(定旋律)然として現れて、このセクションを終わらせます。(下譜、原曲の聖歌)

121小節目からAdagioとなった所からが繋ぎの部分、いわばインテルメッツォになります。とらえ所の無いようなモヤモヤした音楽になりますが、ここではエンハーモニックによる転調の嵐になっているのがその原因です。エンハーモニックによる転調というのは、ある音を軸足にしてその音を含む別の和音の調へ転調していくやり方をいいます。この部分の後半8小節では下譜のように転調しています。グレーの色の音符を軸足にしてよじれるように転調している様が分かるでしょうか?(分かりやすくするため部分的に#の所をbで表示しています)。

20 Et expecto

トンネルから出たとたんにオーケストラが盛大に上昇ファンファーレを奏でて「死者の復活」を表現します。カンタータ120番の第2曲「喜べ、喜びの声を天まで上げよ」の素材を使って大胆に再構成したものです。特に歌唱声部は原曲とは一新しています。完全にミサの歌詞に合うように新たに作曲されていて、このミサ曲全体を構築するバッハの手法が良く伺える好例です。

サンクトゥス

21 Sanctus

1724年のクリスマス用に書かれたものをここに持ってきました。元の曲はソプラノ3とアルト1だったのをここではソプラノ2、アルト2に書き換えたそうです。この曲は譜面を見るとすぐに分かるのが、”3”に対する拘りです。スコアを上から、トランペットが3本、オーボエも3本、弦のセクションが3段(Vn1、Vn2、Vla)という括りで書いており、合唱も6声に拡大して、出だしの所ではソプラノ1とソプラノ2とアルト1で1つのセクション、アルト2とテノールとバスで1つのセクションにしているのが明瞭に分かります。おまけに3連符がリズムの基礎になっています。もちろん「三位一体」を象徴しているのだろうし、「聖なるかな」の語が元々3回呼び交わされることになっているのを踏まえています。こういう所は聴くだけではサッパリ分からないバッハの拘りです。またバス声部のオクターブ下降のフレーズが全体を支配して、のっしのっしと歩む重厚な行進曲のようです。後半は3/8拍子になって軽快なワルツ風のフーガとなります。”gloria”の語が16分音符の流麗なパッセージになっている所に注目。

オザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ、ドナ・ノビス・パーチェム

本当なら、「サンクトゥス(オザンナ、ベネディクトゥス)」、「アニュス・デイ(ドナ・ノビス・パーチェム)」という括りですが、サンクトゥスが元々独立した曲を持ってきたせいか、それ以降の曲が一括りにされています。

22 Osanna

1734年の世俗カンタータ「汝の幸運を讃えよ、祝福されしザクセンよ」の冒頭合唱のパロディーです。それ自体も1732年のBwv,Anh.11の失われた世俗カンタータから持ってきた、という話なんですが。ザクセン選挙侯及びポーランド王アウグスト三世の祝賀行事用に書かれただけに普通でない豪華な編成で、二重合唱を使っています。そして世俗カンタータの合唱曲らしく、ユニゾンなどホモフォニックな要素を使い、フーガの様な複雑なポリフォニーは使いません(模倣的な部分はあり)。イエスのエルサレム入城にあたって群衆が彼を取り囲んで「ホサナ!」と叫んだ、という故事を表現するのに二重合唱がうまくハマっています。

23 Benedictus

原曲が見つからないので書き下ろしかもしれない、と言われています。オブリガートのメロディーはスクエアな16分音符と3連の16分音符が交互に出てくる、非常に繊細なタッチの音楽です。エレガンスの極みのような平均律クラヴィーア曲集第2巻の嬰ヘ短調のプレリュードと全く同じ気分を持った音楽と言えるでしょう(下譜)。

Benedictus

平均律クラヴィーア曲集第2巻の嬰ヘ短調のプレリュード

この曲はオブリガートの楽器指定を欠いています。同じロ短調のフルート・ソナタBWV1030を彷彿とさせる所もあり、フルートで演奏されることが多いようです。

24 Osanna 

第22曲Osannaをそのまま繰り返します。これは18世紀ミサ曲の慣習です。

25 Agnus dei

失われた結婚カンタータのアリア「退け、なんじ冷たい心よ」を「昇天祭オラトリオ」BWV11のアリアに転用して、さらにこのAgnus deiで再利用しているようです。ただしBWV11のアリアとは使っている素材が同じというだけで歌のメロディーも大幅に違っていて、作曲し直したという感があります。大元の曲をベースにした姉妹曲といったところでしょうか。再現部?の手前にpianoの指示のもとにメロディーが緩やかに1オクターブ下がっていってフェルマータで休止する所は”morendo”といった趣があり、印象的です。その後、後奏が主調(ト短調)ではなくハ短調で入るところも意表を突いています。

26 Dona nobis pacem

第6曲Gratiasの音楽を繰り返して、ミサ曲を締めくくります。ここでGratiasの音楽を使っているのは「栄光の神への感謝」を平和の祈りの中に込めているのだ、という意見が多いようです。実際、この曲の譜面の最後に、ミサ曲全体のなかでただ1箇所の”S.D.G”の署名(私には”D S Gl”と書いてあるように見えますが)があるのは、この曲がミサの締めくくりでありまた、”Deo Gloria”(神の栄光)を讃えつつ曲を閉じるという意図を感じます。もっとも”S.D.G”はただの「終わり」という意味しか無い、という意見もありますが。ともかくも壮大で感動的な終曲でこのミサ曲は堂々と締めくくられます。