バロック音楽における強弱法

バロック音楽では必要最低限の情報しか譜面に書かないのは、「そんな事、書かなくたってわかるだろ!」というノリでやっていたのでして、出来るだけ省略して簡単な譜面作りをやっていたのです。極端な例はブランデンブルク・コンチェルト第3番の第2楽章のようにたった2つの和音しか書いてないというのもあります。これは2つの和音の間で全く自由にアドリブで演奏しろ、という究極の省略譜面です。ジャズで使うコードネームしか書いてない譜面を思わせます。ジャズの場合と同じく、基本的に自分と仲間で演奏する、というのが譜面を簡単にしている理由の一つでしょう。だから「書いてある事」だけを忠実に演奏するというのは間違えも甚だしく、ありうる様々な表現法を演奏家自身が付け加えなければならないし、それこそ演奏家の腕の見せどころです。こんなことは古今の世界中の音楽ではむしろ当たり前の事で、20世紀以降の一部の”西洋音楽の伝統継承家”だけが異常なまでに書かれた楽譜に従うことを重視していたのです。今回はバロック音楽でも当然行われていた強弱の様々な表現法について調べた事を書きます。昔の文献が示す、昔の常識です。

譜面に書かれている強弱

バロック音楽では、特に静かに曲を始めたいとか、特別の希望がなければ強弱の記号なんて書きません。こんな事は実は当たり前で、皆さんはカラオケで「函館の女」を歌う時、「フォルテで始めるのかメゾピアノで始めるのか?」なんて悩みますか?「♪は~るばる来たぜ」と景気よく歌い始める始めるもんですよね。なお曲中で弱くしたいときは勿論「p」を書き、またもとに戻るときは「f」を書きますが、必要最低限にしか書いてありません。

繰り返しにおける強弱

同じフレーズを繰り返す時にダイナミックスの変化をつけるのが慣習的に行われます。普通は繰り返しを弱く演奏します。このヴィヴァルディの「四季」の春の最初のところでは繰り返しの所にpianoと書かれています。こういう風なケースでは何も書いてなくても強弱をつけて然るべきと考えます。

またもっと短いフレーズの繰り返しではエコーのような効果として強弱をつけたりします。

クレッシェンド、ディミニュエンド

今から30~40年前くらいには「バロック音楽の強弱法はテラス式(階段みたいに段々にやる)だ」と言われてました。楽譜にクレッシェンドやディミニュエンドが書かれてなかったので、そう思い込んだバカの意見が席巻してたみたいです。その人達は音楽が分かってないばかりか、単なる勉強不足だったことが後に明らかになりました。なにしろカッチーニが1602年に出版した有名な「新音楽」という書物に「声のクレッシェンド=デクレッシェンド、エクスクラマツィオーネ、トリロ、グルッポ、要するにこの技法のすべての宝をそこで用いるべきか…(栗栖由美子氏「バロック初期の歌唱法に関する研究」より)」と書いているんですから。またジェミニアーニは1751年の「ヴァイオリン奏法」に以下のような記号を用いています。この記号は「音を膨らませる」という意味です。

またジョバンニ・アントニオ・ピアーニの1712年出版のヴァイオリン・ソナタには以下のような、ひと目でどう演奏するか分かる記号が書かれています。

さて、では何も書かれていない場合、どんな場面でクレッシェンドやディミニュエンドを用いたらよいかというと、よく行われるのは上昇音型ではクレッシェンド、下降音型ではディミニュエンドというやつですね。

次のものはヘンデルのコンチェルト・グロッソ、ニ長調op6,No5の3曲目の一節で青い所は下降、赤い所は上昇でディミニュエンド、クレッシェンドを行っています。

もう少し長いフレーズでの例を聴いて見て下さい。これはヴィヴァルディの四季の「冬」第3楽章の終わりのあたりです。青い所では低音を中心に次第に下降して行くのに合わせてディミニュエンド、次の赤色の小節で上昇とともにクレッシェンドしているのがよく分かると思います。

メッサ・ディ・ヴォーチェ(Messa di voce)

これは、ロングトーンにおいて最初を弱く、次第にクレッシェンドしてその後ディミニュエンドする、という演奏法で、バロック時代に行われたとても繊細で美しい効果のある技法です。ところがその後、すっかり忘れられてしまい、YouTubeにある動画で指揮者のリチャード・ボニングがパヴァロッティに「メッサ・ディ・ヴォーチェってどういうもの?」って訊いて、パヴァロッティが「mezza voce?」って訊き返してサザーランドに「ちがうちがう!」ってたしなめられているのがあるんですが、20世紀のオペラ歌手が全く知らなくなってしまったのは、いつからか歌手はロングトーンをヴィブラートべったりで朗々と歌うようになってしまったからだと思います。器楽奏者も同様で、最初から最後まで均一な音量でヴィブラートを大いに効かすロングトーンが当たり前になってしまいました。このメッサ・ディ・ヴォーチェについて書かれた資料はあまりないようなのですが、前に挙げたピアーニの楽譜にある「真ん中がふくらんでいる」記号はまさにメッサ・ディ・ヴォーチェを示しているのだと思います。

おなじみ「オンブラ・マイ・フ」の歌の出だしの所はまさにメッサ・ディ・ヴォーチェを使うのにピッタリです。この曲に限らず、このようなロングトーンで歌い始める曲のパターンがあり、19世紀の有名な歌劇「ノルマ」のCasta diva”の出だしもメッサ・ディ・ヴォーチェにピッタリなはずです。

エクスクラマツィオーネ

アッフェット(情緒)を盛り込む表現法としてカッチーニが推奨しているのがこのエクスクラマツィオーネですが、使うケースは限られていると言えます。カッチーニによるとすなわち「付点を持つ2分音符でデクレッシェンドしながら歌い始め、下降する4分音符でほんの少し余計に息を使ってクレッシェンドする(栗栖氏同論文より)」というものです。

これの実例を探すのは難しいです。”アマリッリ”においても誰もこれを用いていないのは、殆どの歌手がエクスクラマツィオーネというのを知らないからだと思われます。皆さんが”アマリッリ”を歌う際には是非これを取り入れてみて下さい!

和声法における強弱法

西洋音楽最大最強の特徴というのは機能和声法というのを編み出したことだと思います。和声の流れが「動き」を作り、それによって音によるストーリーを生み出すことが出来るようになりました。この根本にカデンツがありますが、ここでも動きを作るためにそれぞれの和音に明暗の色彩をつけると、その効果は大きいものになります。基本的にその曲の基調に属する和音ーおもに主和音や下属和音ーは弱く奏し、基調に属さない和音ー基本的に臨時記号のついたような音ーは強く奏す、不協和音は特に強調する、ということが行われます。

ドミナント~トニックの例(ドミナントが不協和音であるのでf、トニックはp)

C.P.E.バッハによると「不協和音は概してより強く、協和音はより弱く奏される、と言うことができる。前者は力強く情熱を高め、後者はそれを鎮めるからである。」(C.P.E.バッハによる例1)

「強烈なアフェクトを呼び起こすべき楽想の特別な高揚は、強く表現されなければいけない。そこでいわゆる偽終止は、それが用いられた理由のためにも普通はフォルテで奏される」(C.P.E.バッハによる例2)

このような和声による強弱の色付けを知っておくと、演奏に表情をつけるのにとても役立ちます。バロック音楽に限らず、調性音楽においては和音のもつ意味とその表現法の基本と心得るべし!

通奏低音を演奏するさいにも、このことは重要です。次の例はマタイ受難曲の中の一節「イエスは祭司長と長老から告発を受けたが何も答えなかった。ピラトは彼に言った。”聞こえないのか?この者たちの文句が!”イエスは一言も答えなかった。総督はこれを不思議に思った。」という下りです。フォルテの所とピアノの所に注目して下さい。このルネ・ヤーコプスの演奏では強弱を強調するために、ピラトのセリフの減7和音その他の不協和音の所でオルガンのストップを開けて迫力を出しています。

このように、バロック音楽でも様々に強弱の変化が行われる、という事がお分かり頂けたと思います。ここに記したのは強弱法の手がかりとなる例でした。ところで、これらのやり方は”ルール”ではなく、メロディーや和声、楽曲形式などから自然と導き出されるものである、という事を忘れてはいけません。同じような場面で、全く違うやり方だって大いにあり得るのです。C.P.E.バッハは「ピアノまたはフォルテになるのはどこかをいちいち規定するのは、おそらく不可能なことであろう。どんなにすぐれた規則にも、それと同じほど多くの例外があるからである。明暗ともいうべきこの特別な効果は、楽想なり、楽想どうしの結合関係いかんによって、、いや大きく言って作曲家いかんによっても変わるのである。作曲家は…同じ楽想でも、あるときはフォルテにあるときはピアノに出来るからである」(「正しいクラヴィーア奏法」東川清一訳)と言っています。音楽の世界にドグマなんてないし、そんなものを振りがざす奴がいたら「バ~カ」と言ってやりましょう。そして自由に強弱法の効果を楽しみましょう。

 

 

 

 

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