ミサ通常文について

ミサ通常文についてあまり何も考えないで歌うのも何だな〜と思いついて、ちょっと調べてみました。歌う参考になれば幸いです。(主にNewAdvent.orgCatholic Encyclopediaなどの情報による)

Kyrie Eleison

福音書がギリシャ語で書かれているように、初期キリスト教はギリシャ語が主に使われた地中海地域で育まれていました。”Kyrie Eleison”の語がギリシャ語であるのはこの語が取り入れられる経緯が非常に古く、キリスト教普及以前から使われていた語であることを伺わせます。2世紀の歴史家アッリアノスの「語録第二巻7」には「神を呼ぶ時に”Kyrie Eleison”と言う」と述べています。東方の教会(後の東方教会ではない)で使われていたのが西方にも伝わったようで、529年の第二ヴァイソン会議での第3の規範の中に見られるそうです。少なくとも8世紀にはKyrie Eleisonを3回、Christe Eleisonを3回、Kyrie Eleisonを3回、唱える形式が出来ていたようで、中世の宗教家たちはこの9回の呼びかけを天使の九歌隊(The Nine Angelic Choirs)と結びつけていました。

Gloria

ルカ福音書第2章12~14

「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、

いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

ルカ福音書の中のキリスト生誕において天使が歌った言葉を用いたこの典礼文は大栄唱と呼ばれるもので、やはり大変古くから使われていました。栄唱というのは栄光の賛歌ということで、三位一体の神を讃える内容をもったものとのことです。もともと2~3世紀に人気のあった”Psalmi Idiotici”(公式ではない個人的に編まれた詩篇)に含まれていたものです。”Psalmi Idiotici”の大部分は後の異端排斥のおりに捨てられたので、このGloriaはその数少ない生き残りということです。

375~380年の日付のある”Constitutiones Apostolorum”(聖職者の憲法)という書物で「朝の祈り」に使われていた事が分かっていますポワティエのヒラリウス(c.310~c.367)によってラテン語に訳されたとされており、382年に作られたヴルガータ聖書(ラテン語の公式版の聖書)のルカ 2:14における表現”Gloria in altissimis Deo”と違い”excelsis”が使われている所に特徴があるそうです。

中世の学者Guillaume Durandによると、天使の賛美歌を人間が歌うということ、つまり原罪によって分かたれていた天使と人間の存在がキリストによって再び一つになるということがここで重要な意味をもっているのだそうです。19世紀のNikolaus GihrによるとGloriaは三位一体のそれぞれの神に個別に向けられた賛美の形を明瞭にとっている、とのことです。たしかに”Gloria in excelsis Deo”から”Deus Pater omnipotens”までは父なる神に、”Domine Fili unigenite”から”tu solus altissimus Jesu Christe”まではキリストに、最後の”Cum Sancto Spiritu”だけが精霊にあてられています。

また短いセンテンスに同じような語をリズミカルに並べるようなフレーズが多いという特徴は、オリジナルのギリシャ語のテキストに由来するそうです。

Credo(ニカイア信条)

この文はそもそも325年に行われた第一ニカイア公会議で採択された声明文に端を発してします。当時のキリスト教はまだハッキリ決まってない事柄が多く、様々な主張が対立する混乱した状況でした。中でも「イエス・キリストは神か人間か?」という事で激しく議論されていました。神は唯一のものでなければならなかったからです。アリウス派の人たちの主張を大雑把に言うと「子なるイエスは準神という感じで、かなりの部分は人間だ」で、これをアタナシオス派の人たち及びアレキサンドリア主教が公会議を開いて「イエス・キリストは父なる神と完全に同格の神だ」と宣言してアリウス派を異端と断罪したのでした。だからこの文の内容はアリウス派に対する反駁で出来ています。

アリウス派の主張
ニカイア信条

子イエスは受肉した被造物

造られることなく生まれ、父と同一

子は二番目の、父より劣った神

光よりの光、真の神よりの真の神

御子が存在しない時があった

すべてに先立って父より生れ

この時に採択されたニカイア信条は現在のCredoの文の三分の二くらいの量でした。この会議の後でも三位一体の解釈問題はまだまだゴタゴタしていました。なにしろニカイア公会議を行わせたローマ皇帝コンスタンティヌス大帝は三位一体派だったのに息子のコンスタンティウス2世はアリウス派でアタナシオス派を迫害するという有様で、ローマ法王は三位一体派、コンスタンティノポリス大主教はアリウス派という混乱ぶりです。皇帝テオドシウス1世の時にこの問題を一気に決着をつけるべく、コンスタンティノポリス大主教を三位一体派のナジアンゾスのグレゴリオスにすげ替えて、第一コンスタンティノポリス公会議を381年に開催させました。この時にはキリスト教内の統一だけでなくローマ帝国内のキリスト教化も強く進められ、古代オリンピックも廃止されてしまったそうです。

ニカイア信条は第一コンスタンティノポリス公会議で拡張されました。どのように拡張されたか比べて見てみましょう。他方には無い文は赤い色をつけてあります。この部分が他方では削除され、他方では教義として強化された部分です。

ニカイア信条(325年)

ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神の独り子にして、御父の本質より生れ、
神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたちの人類のため
救いのために天からくだり、
しかして肉体を受け人となり、
苦しみを受け、
三日目に甦り、
天に昇り、
主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。 

 

 

 

わたしは聖霊を信じます。

主の存在したまわざりし時あり、生れざりし前には存在したまわず、

また存在し得ぬものより生れ、
神の子は、異なる本質或は異なる実体より成るもの、造られしもの、
変わり得るもの、変え得るもの、と宣べる者らを、
公同なる使徒的教会を祝福します。

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、父の右の座に着いておられます。
主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。
アーメン。

ざっと見たところ、キリストの”物語”がすこし詳細になっていますね。「父の右の座についておられます」というのは重要な表現だと思われます。キリスト再臨後の「国が終わることがありません」というのも重要な教義ですね。精霊についてのコメントも付きました。洗礼の事も書き記しました。ニカイア信条の最後のあたりの何だかわけの分からないゴニョゴニョしたくだりはバッサリ削除して、分かりやすい文になっています。キリスト教の基本的なポイントを定めた初期の重要なマニフェストこそ、このニカイア・コンスタンティノポリス信条なのです。

Sanctus

この最初の一節はイザヤ書6:3のセラピム(位の高い天使)が神を讃える文言であり、昔から広く知られていたフレーズなのでしょう、西暦96年という極めて古いクレメンス1世(?~101?)の手紙に、これが歌われているという記述があります。西方教会では聖餐式の序謡として、ワインとパンを聖別する際に歌われます。Enrico Mazzaによると聖餐式での使用は5世紀初頭には行われていたそうで、アレクサンドリア学派とアンティオキア学派の2つのタイプがあったようですが、結局アンティオキア式の、イザヤ書6:3にマタイ福音書21:9をくっつけた形が継承されるようになりました。

イザヤ書6章

ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。

その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。』

「聖なるかな~」の句はこのように天使が神を讃える言葉で、Gloriaの最初の句と同じような意義を持っています。

マタイ福音書21章

ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。

そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、

ダビデの子に、ホサナ。

主の御名によってきたる者に、祝福あれ。

いと高き所に、ホサナ」。』

この「ホサナ」の句は、典礼において当初は司祭への挨拶の言葉として使われていた可能性が高いのだそうです。後にサンクトゥスの句とともに聖餐式のための語句として定着しました。ちなみにこのosannaの語はWikiによるとヘブライ語の”hoshia na”「どうか、救って下さい」から来ているのだそうです。その後ギリシャ語、ラテン語と変遷しているうちに本来の意味が消えて、歓呼の叫び、称賛の言葉になっていったようです。

Agnus Dei

「神の子羊」に向けたシリア教会の聖歌を教皇セルギウス1世(在位687701)が移入したものだそうです。ミサの中では司祭がパンを裂いたりして用意する間(現在ではホスチアというせんべいみたいなものを用意する)に歌われるものです。

基本的にヨハネ福音書1:29の

<(洗礼者)ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」>

を元にしています。

「神の子羊」について簡単に説明します。これは過越祭と関係があります。過越祭はモーセが奴隷だったユダヤの民をエジプトから脱出させる時の故事を記念する祭りです。モーセが神に従って行わせたように、神がエジプトに災いをもたらす間に、子羊を犠牲としてほふり、種無しパンを食べて災いをやり過ごす、というのがこの祭りです。神への捧げ物としての子羊の血と種無しパンというのがユダヤ教経由で初期キリスト教に大きな影響を与えているのがわかります。イエス自身が過越の食事をしながら「みなこの盃から飲め、これは罪の許しを得させるように多くの人のために流される私の契約の血である」と言っているように、イエスの身体がいけにえの子羊のかわりを務めるということです。ミサの中で司祭がパンとワインを用意している最中にAgnus Deiが歌われるというのは実に納得のいく事なんですね。

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