イネガルとアゴーギク

イネガルとアゴーギクは譜面に書くことのない、しかし重要なリズム演奏技法です。どんな音楽でも譜面に書けることなんてその一部にすぎないですが、バロック音楽では書かれていることがとりわけ少なく、基本的に「習慣に従え」とか、「自由にやってくれ」という認識の上で、譜面は簡略に作られるものでした。だから演奏者は自主的に譜面以外のことを大いに盛って演奏しなければ面白い音楽にならないのです。

イネガル (inégales)

イネガルはバロック期に行われていたリズムの処理法です。これは in()-égales(等しい) ということで、「不均等に」という意味です。譜面上で均等に書いてあっても不均等に演奏する、ということで、8分音符などが連続していてもそれぞれの音に長短をつけて演奏するやり方です。

こう書いてあっても

こんな感じで演奏します。

何のためにそうするか、というのは「表情を与えるため」「リズムを平板でなく生き生きとさせるため」と言う他ありません。機械的なリズム、木魚を叩いているような単調なリズムを嫌う人情というのは古今東西変わりません。(しかし機械的な単調な音楽を好む人も古今東西存在し続けていますが。)

この長短の長さのニュアンスは必ずしも下の譜面に書いたような3:1というわけではありません。B.de.Bacilly1668年の書物には「イネガルを付点つきで記譜すると(中略)リズムが鋭くなりすぎる演奏をされてしまう」とあります。Marie-Dominique-Joseph.Engramelle1775年の書物では、「同じ曲のなかでさえ不均等の度合いが変わることがある」とあり

   3:1   では過激すぎるので

  2:1   くらいにし、もっと温和なものならば

  3:2 あたりがよいそうです。

要するにリズムの強調ではなく、心地よいゆらぎによって優雅なグルーヴを作り出すのが目的だったようです。

有名なマルカントワーヌ・シャルパンティエのTe Deumのプレリュードの譜面はこれです。

で、実際の演奏

8分音符が3連符っぽく演奏されていますね。ていうかそういう風に書かれているものと思ってました。3連符っぽく揺れるのはジャズのスイングする感覚とよく似ています。

ジャン・フィリップ・ラモーの「クラブサンのための新組曲」のアルマンド

実際の演奏では

16分音符がスイングしていますね。フランソワ・クープランによると「イネガルは順次進行(レ・ミ・ファとかド・シ・ラとか旋律がなだらかに進行する箇所)のときに使う」という風にある程度規則があるようです。したがってジャズのように曲の全体のグルーヴを支配するのではなく、あくまで旋律にたいするアプローチだったようです。特にチェンバロのように強弱の出せない楽器では強調したい音は、その長さに変化をつけるより方法がないので、この技法は重視されたのでしょう。

さてバッハの音楽でもイネガルは使われたのでしょうか?すでにお気づきかもしれませんが、これまでに引用した文献や音楽はみなフランスの音楽家のものです。イネガルはフランスで流行った演奏習慣なのですね。でもバッハの当時はフランス趣味が大変に流行していたわけで、またドレスデンの楽長がフランス人だったりして、イネガルのことを知らなかったとは思えません。それでも現在、バッハのフランス趣味の曲(組曲のようなタイプの曲)ですらイネガルを適応させた演奏を筆者は見つけることが出来ません。もしかしたらあるのかもしれませんが、みんなあまりやらない。なんとなくバッハには似合わない?という事なんでしょうかねえ。フランス組曲なんて曲では当然試みていいように思います。

アゴーギク(Agogik

「アゴーギクとは速度法、緩急法であって、テンポやリズムを意図的に変化させること」とWikiでは言っています。筆者の見る所、アゴーギクとはズバリ、「名ゼリフの言い回し」あるいは「うまい弁舌の言い回し」と同じものと考えます。

まずこの名ゼリフを聴いて下さい。

「ここやかしこの寺島で、小耳に聞いたジイさんの、似ぬ声色で小ゆすり騙り、名さえゆかりの弁天小僧、菊之助とは俺が事だ」というセリフです。弁天小僧の名セリフ、7代目尾上菊五郎です。でも上に書いた通りにしゃべっているわけではないですね。「ここやかしこの寺島でー、小耳に聞いたジイさんのー、サ、似ぬこえーろでー小ゆすりかたりい、名せえゆかりの弁天小僧、菊之助たあー、おれえがーことおーだあー」という感じです。歌舞伎に限らず演劇では、特に重要な決めぜりふではフレーズをゆらして言葉を強調しなければ観客に強く訴えることが出来ません。

つぎは名演説。

“I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of “interposition” and “nullification” — one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.I have a dream today!”

「私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。今日、私には夢がある。」

みなさまお馴染みのマーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説の一部です。牧師自身が盛り上がっているのが感じられ、聞いているこっちも熱くなってくる演説ですね。言葉がリズミカルに波打っているのが言葉の内容と相まって非常に感動的です。心ある音楽家なら、こんな風に演奏出来たなら、と思うはず。これは言葉を伝えようとする気持ちが盛り上がって自然に現れたイントネーションであり、これを演奏において実行することこそアゴーギクと言えると思います。

次にアゴーギクが使われている演奏を聴いてみましょう。

名演奏中の名演奏と謳われているパブロ・カザルスのバッハ作無伴奏チェロ組曲第1番ト長調のプレリュードです。無伴奏チェロ組曲はカザルスが演奏するまではつまらない練習曲と思われていて、まともに取り組む人はいなかったのです。このプレリュードも16分音符が羅列するアルペジオの連続で、機械的に演奏するとその良さがわかりずらかったのです。この演奏ではカザルスのアゴーギクによって、まるで言葉を聞くように感じられます。どのように音を伸び縮みさせているか、大雑把ではありますが図にしてみました。

16分音符が4つの音のかたまりを1ブロックとして、そのブロックの最初の音をわずかに伸ばす傾向があります。強拍なのですが、全部の音を強調しているわけではありません。機械的でなく、即興的な感じがあります。

4小節目の最後の音は長めですが、この音を境に短調に転ずるためです。6段目の最初の小節(11小節目)が揺れが大きいのは、減7和音で大きく緊張するシーンだからです。最後の段の最後の小節では降りていくスケールの始まり、頂点の音をわずかに強調しています。

このようにして和声の流れや旋律の形が作り出すストーリーを明確に示すことによって、ただの16分音符の羅列が胸を打つ音楽の流れになることをカザルスはアゴーギクをもって教えてくれたのです。

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