ヴィブラートは使うべきか否か?その2

昔の記述に言及されているヴィブラート

ここからは文献からの情報の陳列になります。

まず弦楽器についての記述。

Christopher Simpsonは”The Division-Violist”(1659)の中で、「弦を指で軽く揺すると、音にわずかながら変化と艶がでる」と述べています(「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」橋本英二より」)。

T.Maceの”Musick’s Monument”(1676)にも「”Sting”は美しく、優雅だが、最近は流行らない。そのやり方はこうだ。弦を打ったなら、そのまま指のそのポジションで保ち、手を上へ下へと数回揺らす…」とあります。”Sting”は現代では「しみる、ヒリヒリする」との事ですが、ここでは明らかにヴィブラートを指しています。

マラン・マレ(1656~1728)は譜面に下記のようなヴィブラートの記号を書き入れています。このように多様な方法によるヴィブラートの指示がある所をみると、ヴィブラートも装飾の技法として厳密に捉えられていたのが分かります。

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時代が下りますが、レオポルド・モーツアルトの名著「ヴァイオリン奏法」(1756)では
「トレモロは「自然の女神」が生んだ装飾音で、長い音に魅力的に使うことが出来、優れた器楽家のみならず、懸命な歌い手によっても使われます。トレモロは純粋な1音ではなく、波動しているように聞こえているので、全ての音をトレモロで弾くのは間違いです。中には中風持ちのように全ての音を絶え間なく震えさせている人がいます。トレモロは開放弦を弾いたときの(その余韻が波動を聞かせる)ように、最後の音、または長く保持される音はトレモロで装飾します。」(塚原晢夫訳)ここではトレモロという語はヴィブラートを指しています。
長い音ではヴィブラートを使うことを推奨していますが、「絶え間なく」使う事は非難していますね。

次に歌唱。

ミヒャエル・プレトリウスの”Syntagma musicum”第3巻(1620)は「ボーイ・ソプラノの様々に震える声の特別な愛らしさ」を賞賛しています。

C・ベルンハルトの「歌唱法または装飾音」(1648?)には「年をとった歌手たちは不本意にヴィブラートがついてしまう」という風にヴィブラートの誤用を非難しています。これは現代でも「年をとった」演歌歌手の歌で確認できますね。

カストラートであったP・F・トージは「歌手が1音を伸ばす場合、震えることなく安定したまま保つように心がけなくてはならない。ふらふら揺れる癖がつくのは悪趣味である」(橋本英二著、前掲書より)という風に、ヴィブラートに否定的です。橋本英二氏の著によると歌唱に関しては当時の記述にはヴィブラートに否定的な意見が多いようです。これはひょっとすると「年をとった歌手」のように「ふらふら揺れる癖」のある歌手が多かったのかもしれません。批判が多いのはそういう事なのでは?

管楽器については、記述があまり無いようです。管楽器の性質上の関係だと思います。指を使ったヴィブラート(フラットマン-Flattement)についてはジャック・オトテール(1674~1763)は「フラットマンは練習曲を除いて記譜されることがない」(“Principes de la Flute Traversiere”1707)と述べていて、場所を選んで使用していたようです。

さてバッハが譜面上でヴィブラートを書き記していることをご存知ですか?有名なブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章の中にあります。95小節目のフルートとソロヴァイオリンの全音符の上に~~~~~~~みたいなニョロニョロ線が書いてありますが、これがヴィブラートの指示です。以前は(今でも?)これを勝手にトリルだと思って演奏するケースが多かったと思います。この記譜法はクープランやヘンデルも使っています。

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ここまででバロック時代の記述から受ける印象は、
・上手くやればヴィブラートは美しい。
・装飾音としてしかるべきポイント(特に長い音)で使うべきである。
・不安定なヴィブラートや常時使用するのは聞き苦しいものだ。
・ヴィブラートの使用には流行り廃りがある。
といった所でしょうか。これは今日でも全く当てはまることで、いろんな点で昔も今もまったく変わってないという印象をもちます。

続き

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