ヴィブラートは使うべきか否か?

更新がないと団体まで寂れて見えるので、むりやりネタを突っ込みます。決して団体の活動が寂れているわけではありません!

我々の喫緊の問題として、バロック音楽の演奏法について調べてみることにします。
第1回はいきなりヴィブラートについてです。

わたくしが高校生のみぎりに、当時ジャズ・バンドを一緒にやってたベース弾きの友達が「どうしてクラシックの人たちは全部の音にヴィブラートをかけるんだい?」と言いながら変な気持ち悪い声を出してクラシック音楽家のマネをしてみせたのが忘れられません。その時僕にもなぜだか分かりませんでした。で、彼の言いたいことにも賛成でした。全部の音にヴィブラートをかけるのは不自然だし気持ち悪い。でも当時のクラシック音楽家はみんなそうやってました。
さてその頃(1970年台)あたりからヨーロッパではピリオド奏法というのが頭角を現しだしたんですが、始めにピリオド奏法でショックを受けたのはそのノン・ヴィブラート奏法だったと思います。わかりやすい違いだからです。特に歌でこれをやると大変新鮮に聴こえます。ピリオド奏法といえばノン・ヴィブラートといえるほどに流行ったと思います。ただアマチュアでこれを積極的にやる所は無かったと思いますが。
現在では考え方がちょっと変化してきています。さてヴィブラートとはそもそもどういうものだったのでしょうか?

クラシック音楽以外の世界の音楽におけるヴィブラートのあり方

僕の友だちが疑問を呈したのは「クラシック音楽の人だけ全部の音にヴィブラートをかけている」という事でしたが、実際はどうなのでしょう?クラシック以外のいろいろなジャンルの例をランダムにザックリ辿ってみます。ただし歌だけです。クラシックのヴァイオリン音楽に対抗出来るような器楽曲が他のジャンルに見当たらないからです。

アフリカ

maasai

マサイ族の歌 地声でのびのびと歌ってますね。変な技巧など無い最も自然な人間の歌、という感じ。ヴィブラートもまったく無し。

アイリッシュ
fowlis


Julie Fowlis “‪A Ghaoil, Leig Dhachaigh Gum Mhathair Mi‬”
ゲール語で歌うこの曲の起源については分かりませんが、いかにも雰囲気のある民謡ですね。地声で、出来るだけピュアな音を目指して歌っている感があります。ヴィブラートも殆どありません。

日本
mikimatsu


柳家三亀松 都々逸
いい声です。これは前の2つの素朴な歌と違って技巧的なものです。基本的にはノン・ヴィブラートですが、音が伸びる所は自然な声の揺れが出ます。こういう自然な揺れは美しい。他にも意図的なトリルやターンみたいな装飾音などが豊富に入っています。芸術的な歌と言うべきものです。

モンゴル

mongol

Urtiin duu
オルティンドーというのは「長い歌」という意味。これは力強さという点でも芸術性という点でも、世界一の歌唱音楽だと思われます。圧倒的な声の迫力は他の追従を許しません。声の揺れは非常に意図的に様々な深さをもって行われています。まったくのノン・ヴィブラートから2度近くの幅のあるピッチモジュレーションまで自在に変化させています。装飾音も含めてすべてが様式に従って完全にコントロールされています。歌手が自分勝手にすべての音にだらだらヴィブラートをかけて歌ってるオペラ歌手とはまったく次元の違う、磨きぬかれた歌唱法です。

ジャズ

june

June Christy “Taking a chance on love”
地声の自然な発声。当たり前かもしれないですが、クラシックだけがなぜか地声を嫌っているんですね。リズムにのって軽く流れるフレーズにいちいちヴィブラートなんかかけてたらモタツイてしまいます。それでもフレーズの終わりの伸びる音には軽くヴィブラートをかけています。それがまた粋なんです。

これっぽっちでクラシック以外の世界の音楽を代表させるなんて…まあまあ、これでもある特徴は出ていますよ。まず世界中の多くの歌唱法が地声を基本としている事。これは当たり前といえます。つぎに、地声では自然なヴィブラートがかかりにくいので、基本的にノン・ヴィブラートの歌になっている事。3つ目はヴィブラートは装飾音として扱われている事、特にアジアではこういった処理が緻密にコントロールされる、要するに様式的である、という事が見えてきました。
さてバロック音楽ではどうだったのでしょうか?

続き

 

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