2021年演奏曲の解説

ミサ曲ト長調 BWV236

バッハは1733年にドレスデン宮廷のために、後にミサ曲ロ短調のキリエ・グローリアとなる小ミサ曲を書きました。これは宮廷音作曲家の称号を得て現在の地位や就職活動を有利にするための行動だったようです。3年後に称号を得ることが出来ましたが、その後、1738~39年頃にさらに4つの小ミサ曲を作りました。このキリエ・グローリアミサはライプツィヒのプロテスタント教会でも使用可能なものですが、ドレスデンのカトリック教会のためとも、ボヘミアのリサー(Lysá)に住む、アントン・フォン・シュポルク伯爵のために書かれた、とも言われています。

キリエ・グローリアのラテン語聖句による楽曲はライプツィヒの礼拝でも用いられていましたが、それまでにバッハの作例はなく、この時期に俄に作られたのは、こうしたカトリック関係者との接触が関連していると見るのはありそうなことです。

これらのミサ曲はミサ曲ロ短調と同様に、カンタータなどからの楽曲の転用で出来ています。しかしこれは手抜きではなくて、むしろ自信作をアレンジし直して編集するという作業を施しているのです。壮年期以降のバッハはそれまでの作品や自分の技法に彫琢を施して完成度の高いものを仕上げようという傾向があり、これらのミサ曲もそういったものと言えます。

1. Kyrie 合唱

BWV179「心せよ、汝の敬神の偽りららざるかを」の第1曲を持ってきています。「あなたの神を恐れることに偽善はないですか?神につかえる心は偽りでないですか?」という歌詞なので厳しさを湛えた音楽です。反行フーガにしているのもそういう意図があるのでしょう。「偽善」「偽りの」という語に半音進行をあてていて、それが曲全体のムードを決定づけています。2重フーガというほどでもないのですが、2つ目の主題の小さなストレッタ風の入りがあり、これがこのミサでは「Chiriste eleison」の主題として上手く機能しています。とにかくポリフォニー好きの人を唸らせる要素満載の渋いフーガです。

2. Gloria 合唱

BWV79の第1曲を元にしています。原曲の歌詞は「主なる神は太陽なり、盾なり」というもので、マルティン・ルターが教会の扉に「95か条の提題」を釘で打ち付ける様をティンパニの8分音符連打によって表現するところが面白い楽曲でした。このミサ曲はルターの故事と関係ないので、ティンパニも連打も取り除かれています。ついでに2本のホルンも取り除かれて、冒頭のホルンのメロディーは合唱のソプラノとアルトに歌わせています。オーボエのパートはもともとのパートとホルンのパート混ぜたものに書き換えられました。ほかにもちょこちょこいじっていますが、大筋は同じ音楽です。

音楽的には、コンチェルト・グロッソに合唱のオブリガートをつけたようなスタイルになっていて、重要な主題はほぼオーケストラの方にあります。冒頭に出るソプラノ・アルトの主題がリトルネッロの役割を果たして、そのあとに8分音符連打の名残であるフガート主題が出て、それらが交代しながら進行します。まったくコンチェルトを先に作曲して、あとで合唱をつけたような感じです。

余談ですが、このミサがカトリック関係者のために作られたのだとしたら、このルターの故事にちなんだ曲をわざわざ持ってきたのは、なかなか皮肉が効いています。

3. Gratias バス・ソロ

BWV138の第4曲「神にこそ、わが信頼あり。わが信仰の内にこそ神の支配あり。」というアリアが元曲です。ストリングスがメヌエット風のリトルネッロを繰り返しながら進行するスタイルです。

4 .Domine Deus Agnus Dei ソプラノ・アルト・デュエット

BWV79の第5曲のソプラノとバスのデュエットが元曲で、ここではソプラノとアルトに変わっています。元は「神よ、我らを見捨てることなかれ」といった歌詞でした。原曲とこの曲を比べると、バッハが楽曲に磨きをかけるやり方が分かって、興味深いです。原曲よりもあらゆるところが装飾的になっていて、ヴァイオリンのオブリガートはよりカンタービレでロマンティックなメロディーになっています。

BWV79の第5曲のヴァイオリン

当曲のヴァイオリン

5. Quoniam  テノール・ソロ

BWV179の第3曲「不実な偽善者の姿はソドムのりんごと呼ばれる」といった歌詞で、「内面は汚物でいっぱいだが外面は綺麗な偽善者は神の前には立てない」という風に厳しく糾弾する内容をオーボエとストリングスが激しい調子で煽り立てるような曲だったのです。ところがこのミサでは伴奏はオーボエソロだけになっており、しかもAdagioという指示が加えられており、まったく雰囲気が違うものになっています。元曲で表現していたメロディーやハーモニーを、まったく正反対のような歌詞のところに持ってくる、その無神経さに驚かされますが、細かい所にものすごく手を入れてすっかりリファインされており、元曲を知らなければ何も疑問に思わないでしょう。

6. Cum Sancto Spiritu

BWV17「感謝を捧げるものはわれを讃う」の冒頭合唱のパロディーです。ここでは4/4拍子のホモフォニックなイントロが付け加えられています。3/4拍子に変わると開放感あふれるフーガの開始です。原曲と違うのは、主題の入りのところに毎回トゥッティで叫ぶ1小節が加えられている点です。

モテット「Jesu meine freude」BWV227

このモテットも葬式用でないか、という意見が多く、一節には1723年の7月にあった葬式ではないかと推定されています。また、ここで引用されている聖書の文言は神学的な内容なので、Christph Wolffによると教育用を兼ねた作品ではないか、とのこと。

コラール「Jesu meine freude」の第1節~第6節の間に新約聖書のローマ書の文言をサンドイッチした構造になっています。シンメトリーの構造になっていて、その中心にフーガ楽章が置かれています。

このコラールはヨハン・フランクの歌詞、ヨハン・クリューガーのメロディーの人気のあるコラールで、バッハの親戚のヨハン・ミヒャエル・バッハのモテットでもこれと同じ調で使われてるそうです。

ローマ書はパウロがローマの信徒たちに書いたものとされている手紙で、極めて初期の信徒たちにキリストとはどういう存在なのか?神を信ずるとはどういうことなのか?という基本的なことを説明する内容になっています。すごく大雑把にいうと「我々は罪人であり、その報いは死である→イエスは我々の罪を贖うために死んだが神は彼を復活させた→イエスとその復活を信じることで我々は永遠の命を得る→信仰こそが大事だ。」という感じのことが語られています。この「信仰こそが」という部分がマルティン・ルターをして「新約聖書で最も重要な書簡」と言わしめたところです。

このモテットではコラールの情熱的で怒りに満ちた歌詞を、ローマ書の文言が理性的に補足しているような展開になっています。そのために理屈っぽくなっているのは否めません。

1. コラール

コラール第1節が4声でシンプルに歌われます。

2. 5声楽曲

テキストはローマ書8:1、8:4。「もはや彼らは断罪されることはない。」の「ない(nicht)」をエコーとして繰り返してします。そのダイナミックレンジがfからppにまで至っているのはとても珍しいです。「肉に従うのではなく霊に従え」というのはこのモテット全体もモットーといえる言葉です。

3. コラール

コラール第2節が5声で歌われます。激しい歌詞の内容に沿って中低声部に躍動感があります。「Hölle(地獄)」の減7和音が印象的です。

4. 3声楽曲

テキストはローマ書8:2。上3声だけで歌われます。バセットヒェンですが、アルトがバスの代わりをしてトリオ・ソナタ的に進行します。「キリストによって罪と死から解き放たれる」といった内容です。

5. コラール自由曲

「古きドラゴンが何だというのだ!大口を開けたって無駄だ!」

コラール第3節はコラールのメロディーを使わず、自由に作曲されています。「古きドラゴン」というのはルターの改革に反抗するもの(主にカトリック教会)を暗示しています。

とても戦闘的な歌になっており、「Trotz(ものともせず)」の語の叫びが執拗に扱われています。またユニゾンが頻繁に現れて強い決意を表現します。

「Tobe(荒れ狂え)」のバス声部の荒れ狂いぶり、「in gar sichrer Ruh(安全な憩いの中で)」での静かに下降してゆく様など、言葉を音に描く表現力が聴きどころです。

6. 5声フーガ

テキストはローマ書8:9。この曲がモテットの中心部分であり、この曲で折り返すようになっています。このモテット全体はバッハにしては比較的ホモフォニックに書かれているのが、この場所にフーガが置かれていることでより一層くっきりします。モットーである「肉でなく霊であれ」ということが歌われます。「geistlich(霊)」に長いメリスマが充てられています。「So anders Gottes geist」のところから別のフレーズによるストレッタが現れ、最初のテーマと組み合わされて2重フーガのようになります。

7. コラール

コラール第4節がまた4声に戻って歌われます。

「Weg! weg!(去れ!)」の叫びはヨハネ受難曲を思い出させますが、激しい歌詞に合わせてここでも伴奏部には動きがあります。

8. 3声楽曲

テキストはローマ書8:10。第4曲とは対照的に下3声部によるトリオ・ソナタ的なタッチの曲です。12/8拍子のパストラーレ風に優美に始まりますが、「Der Geist aber ist das Leben」のところから活発な動きに変わります。ここでも「Geist(霊)」に対する表現が見られます。

9. コラール

コラール第5節は4声のコラール・ファンタジーとして作られています。テノールが低音進行を肩代わりしているバセットヒェンで、アルトにコラール旋律があります。現世のすべてに「Gute Nacht(おやすみなさいー消え失せろ、という意味)」と告げる歌で、Richard D. P. Jonesは「イエスの欠如(バスの欠如)がこの世の脆弱さを表している」という面白い指摘をしています。

10. 5声楽曲

テキストはローマ書8:11。第2曲の音楽が戻ってきます。「イエスをよみがえらせた神の霊があなたたちの中にあるなら、あなたたちも生かされる」という内容です。ここでもソプラノⅠの最後の「Geist」に印象的なメリスマがあたえられています。

11. コラール

コラール第6節が第1曲とまったく同じ形で歌われます。

Tönet, ihr Pauken! Erschallet, Trompeten!(ティンパニを響かせろ!トランペットを鳴らせ!)BWV214

世俗カンタータと呼ばれることがありますが、本当は「Drama per Musica (音楽劇)」と題されており、4人の歌い手には役柄が割り当てられており、オペラもどきのものと考えることが出来ます。合唱曲も、4声部に4人の歌い手のそれぞれの役割が記されており、実際に4重唱で歌われたものと思われます。

この曲はポーランド王及びザクセン選挙侯妃マリーア・ヨゼファの誕生日用に1733年に書かれ、その年の12月8日にツィンマーマンのコーヒーハウスでコレギウム・ムジクムとともに演奏しました。

ちょうどこの年にポーランド継承戦争が起こっており、このことが曲の中に反映しています。そのことにちょっと触れると、ポーランド王を兼任していたザクセン選挙侯アウグスト2世がこの年の2月に亡くなると、ポーランド貴族スタニスラフ・レシチニスキがフランス軍を後ろ盾にして王位継承を主張したが、神聖ローマ皇帝カール6世はこのマリーア・ヨゼファの夫であるフリードリヒ・アウグスト2世を推した。同年(1733年)10月にロシア軍の力を借りたフリードリヒ・アウグスト2世はワルシャワに入城して王位に就いた、という経緯です。だから誕生祝いの中に戦勝の喜びがあふれているのが理解出来ると思います。

内容は、ギリシャとローマの女神が王妃と選挙侯の統治(というか継承戦争の勝利)をヨイショしまくる、というもので、現代日本人にとって共感するところも面白さもまったくないというものです。それでもこの中の多くの曲がクリスマス・オラトリオに転用されたように、音楽自体の素晴らしさは否めません。

では登場人物を紹介しましょう。

ベローナ(ソプラノ)はローマ神話における戦争の女神です。軍神マルスの妻という設定もあるそうです。

パラス(アルト)はギリシャ神話のアテーナーの異名です。もともとアテナイ(アテネの古名)の守護女神で、ローマにおいても都市守護者として祀られていました。

イレーネ(テノール)はギリシャ神話のエイレーネーのことで、平和の女神です。

ファーマ(バス)はギリシャ神話のペーメーのことで、その名(ラテン語ではFama)の通り、名声や噂を擬人化した女神です。

テノールとバスも女神役というのは、4重唱のためのご都合主義かもしれません。が、歌舞伎だと思えば納得出来るかもです。

第1曲 合唱

合唱と書いてありますが、上述のように4人の女神の4重唱です。戦勝ムード爆発と考えれば、このティンパニとトランペットの活躍も納得がいきます。

ティンパニソロで曲がはじまるのは珍しくバッハではこの曲だけですが、当時の軍楽を再現したものを聴くと(たとえばリュリの”Marche pour la Cérémonie des Turc”のような行進曲)、まずティンパニのようなドラムが先導してリズムを提示してからトゥッティが出る、というやり方をしているので、それを模しているのかもしれません。その後、まさに勝鬨の声を上げるようなトランペットのファンファーレの上昇が起こり、交差するようにヴァイオリンの華々しい下降音形がそれに答えて、素晴らしくスペクタキュラーなサウンドが作り出されます。この曲は全体的に、目の覚めるようなオーケストラのサウンドが聴きどころになってます。

第2曲 レチタティーヴォ イレーネ(テノール)

平和の女神の語りです。「この日、ポーランド人もザクセン人も最高の喜びと幸福を感じてます。」なんて言っていますが、「私は暗い雲も荒れた天気も恐れません。」とも言い、また戦争になっても平気だと言わんばかりです。

第3曲 アリア ベローナ(ソプラノ)

さっそく戦争の女神ベローナが登場します。「フルートを上手に吹いて、その勝ち誇る歌で敵とユリの花と月を赤面させろ。戦闘の音で音楽を奏でろ。」言葉の通りに2本のフラウト・トラヴェルソが伴奏します。あまり「戦闘の音」の感じはしません。

第4曲 レチタティーヴォ ベローナ

「私の鉄の砲弾が空中で炸裂する、愉快な炸裂音、楽しい光景」こういう所では通奏低音も炸裂音を表現しようとしてのたうち回ります。戦争を賛美しまくるレチタティーヴォです。

第5曲 アリア パラス(アルト)

「貞節なミューズたちよ、月並みな歌は歌わないで!今日は特別なお祝いの日です」

オーボエ・ダモーレが伴奏するアルトのアリアというバッハ好みの同じ音域同士の組み合わせです。双方が超絶なメリスマを連発していて、たしかに月並みな歌ではないです。

第6曲 レチタティーヴォ パラス

「天から遣わされた我らが王妃は、ミューズたちの保護者であり安らぎの源です。」ヨイショしつつ、音楽家のこともヨロシクね、というメッセージもちゃっかり入っています。

第7曲 アリア ファーマ(バス)

「王妃よ、私はあなたの名声を世界中に広めます。」噂と名声の女神として当然のことを言っています。王族を讃えるのに相応しく、トランペットが色を添えます。

第8曲 レチタティーヴォ ファーマ

「かくして私の口から溢れる王妃への称賛の言葉は地球の隅々に届くだろう。」星の彼方にまで届く名声を表現するためか、4本の木管のアルペジオが星のきらめきのようなサウンドを添えます。

第9曲 合唱

オーケストラの派手な前奏が終わり、最初にイレーネが「咲け、ザクセンのシナノキよ、ヒマラヤスギのように」と歌い出すと、「武器と馬車と車輪の音を轟かせろ!」とベローナが続き、パラスが「ミューズたちよ、最高のハーモニーで歌え!」と歌ってからやっとトゥッティ(といってもファーマが加わるだけですが)になって「幸せな時よ、喜びの時よ!」と歌います。この曲はクリスマス・オラトリオ第3部の最初と最後を縁取る曲に転用されていますが、その曲しか知らなかった頃に、どうしてこのコーラスの入りはいつものフガートのような同じフレーズでないんだろう、と疑問に思っていたのですが、この原曲を聴けば納得が行きます。それぞれ別の人物の言葉だったんですね。

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