2020年度演奏曲の解説

BWV34「おお永遠の火、おお愛の源よ」

バッハは1725年から1727年の間のどこかで結婚式用カンタータ(Bwv34.2)を書いたのですが、その中の3つの楽章を同じ音楽とする礼拝用のカンタータを1727年6月の聖霊降臨祭に上演したことを示す資料が近年発見されました。どちらのカンタータが先に書かれたか今のところ分からないようです。この礼拝用のカンタータの楽譜は1740年代に新たに書かれたものだけが残っています。このスコアはバッハの自筆譜ですが、部分的に抜けている所があり、その部分は息子のフリーデマン・バッハの筆で埋められています。どうして新しく書き直したのか、どうして抜けている部分があるのか、などは気になる点です。しかしながら抜けている部分は他の箇所から容易に埋めることが出来るために、完成された作品であると言うことは出来ます。

結婚式用カンタータと当曲(礼拝用)では殆ど同じ歌詞が用いられているので、曲のコンセプトも同じとみなすことが出来ます。聖霊降臨についての聖書(使徒行伝)の記事には「天から炎のような舌が一人ひとりの上に降った」とあり、「愛の炎」を讃える結婚式用曲と「互換性」があります。バッハ時代の聖霊降臨祭には、聖霊降臨についての節「信徒たちは降りてきた精霊に満たされ、様々な国の言葉で語り始めた」と、ヨハネ福音書から「イエスは言われた;私を愛する人は私の言葉を守る。父と私はその人と一緒に住む。私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える。」といった部分が取り上げられていたようです。カンタータの歌詞もこれに従い、言葉について、住まいについて、神の祝福について、神の平和について語られます。

第1曲は後期のカンタータに特徴的なダ・カーポする大きな合唱曲です。さっそく歌詞の音画表現が見られます。トランペットは「ewiges(永遠) 」をロングトーンで表します。

ヴァイオリンが「feuer()」をメラメラする音型で表します。

これは当然合唱でも繰り返されます。そして両モチーフで2重フーガ風に展開させながらもシリアスにならず、軽快で華やかな雰囲気を保ち続けます。

第2曲「真理の言葉」と「住まい」について言及されます。

続く第3曲でも信者の魂が神の「住まい」になることが歌われます。弱音器を付けたヴァイオリンのオクターブ上をフルート・トラヴェルソが重ねるという精妙なサウンドがアルトに纏わるという魅惑的なアリアです。

次のレチタティーヴォは主の祝福の言葉を導き出す内容で、最後の1節がそのまま合唱による祝福の言葉に続いています。ここはオラトリオのようなドラマティックなシーンになっています。

最後の合唱は祝福の言葉「イスラエルに平安あれ!」を叫んだあと、オーケストラが音階を駆け上がる豪壮な音楽になります。単純な2部形式でホモフォニックにかかれており、バッハにはめずらしく合唱とオーケストラが一丸となって突き進む非常に晴れやかな音楽です。

ところで、「イスラエル」とは何か?というと、旧約聖書で預言者の元祖といわれるアブラハムの孫であるヤコブが「天使と相撲をして勝った」ことで名付けられた名が「イスラエル(神に勝つ者)」です。このヤコブはユダヤ民族の元祖になったので、ヤコブの子孫たちもイスラエルと呼ぶようになり、ユダヤ教を奉ずる者全体をも指すようになりました。旧約聖書を継承するキリスト教では、もちろん神を奉ずる者全体を指すようになっています。

BWV225 モテット「主に向かいて新しき歌をうたえ」

バッハのモテットは大抵は特殊な機会(たとえば葬式)に演奏するために書かれています。このモテットは1726~7年のあたりに書かれたようですが、何の目的に書かれたか分かっていません。歌詞は詩篇149と詩篇150およびコラール「Nun lob, mein Seel, den Herren」に依っています。他のモテットに比して飛び抜けて輝かしく、構成は壮大で、テクスチャーは緻密を極めており、モーツァルトやブラームスといった大作曲家を驚嘆させた曲としても知られています。

2重合唱8声部で全体は3つの部分で構成されています。

第1部は最初に「Singet!(歌え!)」と、2重合唱が呼び交わしながら始めます。「Die Kinder Zion sei’n frölich」から第1コーラスがフーガを始めますが、ここでは第2コーラスは冒頭の主題を続けながらフーガの背景に回ります。フーガが進むに連れて両コーラスの壁が崩れて渾然一体となりながら高揚していく様は見事です。

第2部では一転して内省的なコラールになります。「神は我らがただ塵に過ぎぬことを知りたもう」。第2コーラスがこの世の無常を述べるコラール歌いすすめるのに呼応して、第1コーラスは合いの手を入れるように祈りの言葉を添えていきます。この第1コーラスには「aria」というタイトルが付けられています。バッハは、コラール第2節を続けて歌うべきとし、その際は第1コーラスがコラールを、第2コーラスは「aria」を歌う、と記しています。ところがそれは譜面(パート譜も)には反映されておらず、第2節における「aria」の歌詞も記されていないので、2節目はほとんどの演奏されないようです。演奏例では「aria」は第1節を繰り返しています。

第3部でまた生き生きとした調子がもどって、ややホモフォニックな4声部の楽節を両コーラスでピンポンする展開になります。「Lobet(誉めよ)」の語の浮き立つようなフィグーラに注目してください。

Alles, was Odem hat」から両コーラスが1つになり4声のフーガになって全曲を締めくくります。

モーツァルトと当曲

1789年にライプツィヒに立ち寄ったモーツァルトはトーマス学校で当時のカントル、ドーレスによるこのモテットの演奏を聴きました。その場にいたJ.F.Rochlitzの証言によると、”モーツァルトは「何だこれは?」と叫び、聴き終わると「これは勉強しないと!」と言った。バッハのモテットのコレクションがそこにあると聞くと「それだよ!イカスぜ!」「それを見せてくれないか?」と言った。スコアの状態では持っていないと聞くとパート譜を周りに並べて座って、忘我の境でそれを見ていた。そしてそれらのコピーをくれるように頼んだ。”とあります。

モーツァルトの持っていた”Singet dem Herrn”のコピーには「これに完全なオーケストラ(の伴奏)を付け加えねば」と書かれているそうです。モーツァルトがもう少し生きていたらそんな珍ヴァージョンを聴けたかもしれません。

BWV21「わが内に憂いは満ちぬ」

このカンタータの残っている一番古い譜面は1714年の三位一体節後第3日曜日のために書かれたものようです。これはバッハ29歳という比較的若い時期の作で、若いバッハに特有の17世紀音楽を引きずっているような所と後の円熟したバッハの味わいを併せ持つと言われています。いずれにせよバッハ指折りの傑作であることは彼自身も自覚していたようで、その後も何度も再演しています。この曲のより短いオリジナル・ヴァージョンが前の年にハレの聖母教会のオルガニストの就職試験のために書かれたらしく、さらに1720年にハンブルクのヤコビ教会のオルガニストの就職試験でも演奏したという、相当な自信作だったことが伺える話が伝わっています。C-mollというバッハとしてはかなり珍しい調で書いたものをハンブルク用に一旦D-mollに書き換えながら、後にライプツィヒでまだC-mollに戻して書き直す、という面倒くさいことをやっており、よほどC-mollにこだわりがあったらしい。なおライプツィヒ版では合唱曲にソロとトゥッティの対比を設けたり、トロンボーンを合唱のコラパルテとして追加したりしています。

さてヴァイマールの宮廷詩人だったザロモン・フランクの作と見なされる歌詞の内容は、3つの詩篇と黙示録からの引用を含んでいます。このカンタータはバッハ自身によって「様々な機会用に」と記されていて、だからこそ時期を気にせず就職試験のような時でも演奏出来たのでしょう。2部に別れたこの作の前半部分では「信者」の魂がひたすら思い悩みます。人生の先行きや死への不安に押し潰されそうになっています。これは誰でもわかる普遍的な感情ですね。牧師の説教を挟んだ後半に入ると、突然イエスが登場して悩める魂を安らぎへと導きます。最後は黙示録からの、キリストを讃える合唱で力強く終わります。苦悩から歓喜へという、ベートーヴェンやマーラーの交響曲のような分かりやすい構成になってます。

曲は器楽のシンフォニアによって開始します。オーボエと第一ヴァイオリン(おそらくソロ)の対話がまさしく悩みというものをするどく音楽化しています。後半では減7和音で何度も立ち止まり、ヨロヨロと歩む表現に息を飲みます。

続く合唱曲は前の世代の影響を残す、若いバッハの古めかしい様式の音楽です。歌詞内容によって曲想やテンポが変化するところ、オーケストラが合唱に対して合いの手を入れながら進むところなどに17世紀のスタイルが残っています。彼はまもなくヴィヴァルディなどのコンチェルトのスタイルを知ると、この古いオーケストレーションのスタイルをやめてしまいます。この曲はその最後の名残を留めていると言えるでしょう。この曲の冒頭の「Ich,Ich,Ich」という短い言葉の繰り返しは「無意味」と、ヨハン・マッテゾンは著書の中で批判しました。彼はハンブルクでこれを聴いたようですが、マッテゾンのような高名な音楽家がこの曲を知っていたことは、これがバッハのカンタータとしては珍しく、少しは世間に知られていた可能性を感じさせます。

第3曲のソプラノ・アリアでは冒頭シンフォニアの気分が戻るかのように、ソプラノソロにオーボエが悲痛な声を添えます。この曲でもやはり減7和音で立ち止まるところがあらわれます。

5曲テノール・アリアはストリングスによる執拗な2度下降音型が強い印象を与えます。

止めどなく流れる涙を示すフィグーラなのでしょう。中間部では「verschren(打ち砕く)」の語に激しく上下するメリスマが当てられます。このように終始バロック的レトリックに染め抜かれたアリアです。

第6曲の合唱も古いモテットのスタイルを留めています。すなわち、歌詞を細かく区切って、次々に曲想が変化するやり方です。途中で「神を待ち望め」という風に気持ちが前向きになり始め、神への感謝を述べるフーガによって第1部を締めくくります。

第2部に入るとEs-durの和音が明るく響き、信者の魂(ソプラノ)とイエス(バス)の対話になります。続く第8曲のデュエットも魂とイエスの対話であり、BWV140のカンタータのものと同じく、定番の「愛の二重唱」です。魂「そうです(ja)、あなたは私をお嫌いなのです!」イエス「いいえ(nein)、私はあなたを愛しています」というような甘い対話がウキウキとした明るい音楽に乗って進みます。中間部は珍しく拍子が変わり(3/8)、快活な舞曲になります。

第9曲はコラール合唱曲で、3声によるカノン風のやりとりの間をテノール声部がコラールを歌います。コラールはゲオルグ・ノイマルクの「Wer nur den lieben Gott läßt walten」の第2・5節を使っています。2コーラス目でコラール旋律がソプラノに移り、コラパルテの器楽が加わります。

第10曲のテノール・アリアでは悩みは完全に吹き飛んでしまい、晴れやかな気分で踊っているような歌です。カデンツのところのヘミオラのリズムがまるでスキップしているように聴こえます。

最終合唱は黙示録からの「屠られた子羊は、力と富と知恵と威力と名誉と栄光と賛美を受けるのにふさわしい」の文言を歌います。これはヘンデルのメサイア第53曲と同じ歌詞ですが、ゆっくりした力強い序の部分を両曲とも持っていて、互いの曲を彷彿させます。バッハはこれをヘンデルの故郷ハレでも演奏し、ヘンデルの親友マッテゾンもこれを聴いたことを考えると、もしかしてヘンデルもこの曲を知っていただろうか?なんて考えてしまいます(メサイアの方がずっと後に作られました) 。主部はアレグロとなり、フーガが展開します。BWV71「神はわが王なり」のようなミュールハウゼン時代の楽曲では各楽器群と合唱群が小グループを作ってそれぞれの小さなモチーフを掛け合いながら楽曲を展開させていますが、ここでは楽器群と合唱群が同じフーガ主題を交差させながらダイナミックに展開していて、その書法の変化をはっきり見ることが出来ます。この曲はバッハが初期様式を脱して円熟した様式に足を踏み入れる瞬間を刻んでいます。

 

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